ID : 15199
公開日 : 2010年 2月26日
タイトル
優しい顔一人で守る こけし作り工人
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新聞名
読売新聞
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元URL.
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/miyagi/news/20100227-OYT8T00180.htm
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元urltop:
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写真:
写真が掲載されていました
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こけし作り工人平賀輝幸さん 37(仙台市)
ろくろを回しながら円柱状の木を削り、こけしの頭となる部分を作る平賀輝幸さん(仙台市青葉区作並の「平賀こけし店」で)
ものづくりインタビュー
江戸時代から、湯治客の子供へのお土産として、温泉地で売られていたこけし。仙台市青葉区の作並温泉に伝わる「作並こけし」は、子供が握りやすいように胴が細いのが特徴とされる。その技術を伝え、約150年続く
老舗の看板を守り続けている。
工房が家の中にありましたから、こけしは子供の頃から身近なものでした。
丸太の皮をむく作業を小学生の頃から手伝い、いつかは自分も家業を継ぐことになると、自然に考えていました。
「何の目的もなく高校に行っても仕方ない」と、高校中退を機に、祖父と父の指導でこけし作りを始めました。
親子3代の分担作業で、私は旋盤を使って角材を円柱状に整えることと、その木材をろくろを回して削り、全体に丸みを出す作業の担当でした。
最初の2年間は、旋盤の作業ばかりでした。「こんなことを毎日やらされるのか」と不満でしたが、こけし作りは「習うより慣れろ」の世界です。祖父や父の作業をまねしながら、分からないことは教えてもらいました。
この道に入って20年。手の皮は、まめが何度もつぶれて分厚くなり、職人の風格も漂う。父謙一さんが2007年にがんで亡くなり、その1年後、祖父謙次郎さん(91)も、高齢にけがが重なったために引退した。現在は一
人だけで作業している。
父と祖父の技をもっと盗んでおけばよかったとつくづく感じます。例えば、父は1本の丸太から何個のこけしを作れるのかといった目利きが鋭く、そうした感覚を教わりたかった、と思っています。
赤や緑など4色の食紅を使い、胴の文様やこけしの命とも言える顔を描く作業も、今は一人でやっています。
顔の中でも、特に目を描くときは細心の注意を払います。「かわいい子ができますように」と思いを込め、集中しなければならないので、疲れていたり、気持ちが穏やかでなかったりする時は描けません。
父の作るこけしは表情が柔和で、子供のような愛らしさがありました。温厚な性格の父、そのままでした。
まだまだ、私はその域に達していません。亡くなる1週間前までこけしを作り続けた父を尊敬していますし、いつか超えたいと考えています。
30年ほど前、作並地区に4人いたこけし作りの工人も、現在は平賀さん一人だけ。その肩に、老舗の看板を守るだけでなく、作並こけしの文化を伝える重責がのしかかる。
一人だけですから生産数は減り、売り上げも厳しくなりました。試行錯誤しながら伝統を守りつつ、新しいことにも挑戦しています。
例えば、伊達政宗とその妻愛姫をあしらったこけしを付けた携帯電話のストラップを作りました。「かわいい」と若い人に好評で、カップルを中心に売れています。
家業を継いだことに後悔はありません。こけしは、作る人の分身のようなもので、人柄や気持ちが宿ると言われています。自分がいなくなっても残り続けるのは、うれしいことです。
これからも、人を笑顔にする優しい表情のこけしを作っていきます。
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