ID : 9244
公開日 : 2008年 11月 1日
タイトル
福岡城下の橋大手門復元手がかりは焼け残り木材
.
新聞名
読売新聞
.
元URL.
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/fukuoka/news/20081101-OYT8T00747.htm
.
元urltop:
.
写真:
写真が掲載されていました
.
2000年8月の火災被害の復元工事が福岡市教委によって行われ、1日に一般公開された福岡城(福岡市中央区)の「下の橋大手門」(高さ14メートル、幅15メートル)。本来の姿を伝える写真や図面が残ってい
ない中、明治時代に失われた2階の櫓(やぐら)が再現され、専門家は「ほぼ完全な姿だ」と太鼓判を押す。
復元案を検討した西和夫・神奈川大工学部教授は「復元前の大手門は、一目でおかしいと分かる造りだった」と指摘する。52万石の城郭の正門としては貧弱な上、近代的な工法で屋根が架けられていたからだ。
火災後の解体調査では、柱などの木材の7割が再利用可能な状態で、1階の屋根を支える水平材に、2階の柱をはめ込む「ほぞ穴」があることが判明。1階の上に土蔵造りの建物があったことを示す、しっくいの痕跡も。
だが、櫓の寸法や外観を記録した図面、古文書は存在しなかった。
再現の鍵は、櫓に使われていた古い木材。梁(はり)や垂木など十数本が1階に流用されており、形状からどこで使われていたかを解明して2階の構造を明らかにする一方、外観などは、福岡城から崇福寺(福岡市博多
区)に移設された別の櫓門や、明治初期に失われた「上の橋大手門」の写真を参考にした。
設計を担当した天木詠子・1級建築士は「建物の記録が蓄積されるのが、古い木材。一本一本が、情報の固まりといえる。それをつなぎ合わせることで、当初の姿が浮かび上がってくる」と説明する。
今回の工事でも、将来にその情報を伝えるため、できる限り古い木材を残したという。
西教授は「石垣や堀があるのに、福岡市民は福岡城への関心が薄い。市民の財産として活用するべきで、今回の復元が、そのきっかけになれば」と願っていた。
木の情報発信基地では、TOPページを平日毎日更新しておりますが、その更新の中に、報道各社のホームページに
掲載されているニュースを毎朝調べ、昨日掲載された情報を集め、リンク形式の1行にその見出しを掲載しています。
2010年現在で毎日平均15本の広い意味での木に関する情報が掲載されています。毎日更新ですから、次の日には消えて
しまいます。これではいかにももったいないので、アーカイプとして分野別に分けて保存しております。このwebページは
「木材、木工、木製品」に関するものを集めています。2006年から開始しましたが、年に2度程度の更新で情報追加いたします。
情報収集の方法はグーグルニュースの検索で調べるというシンプルなものです。