ID : 7172
公開日 : 2008年 4月13日
タイトル
建物が語る記憶… 黒滝村旧役場庁舎、洋館が伝える林業の隆盛
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新聞名
MSN産経ニュース
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元URL.
http://sankei.jp.msn.com/region/kinki/nara/080413/nar0804130245000-n1.htm
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写真:
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大峰山系の豊かな自然に恵まれた奈良県黒滝村。リゾート施設「黒滝・森物語村」(同村粟飯谷)の一角に、緑色をした木造2階建てのしゃれた洋館がたたずむ。
黒滝村旧役場庁舎。明治43年の建築で、大正2年から65年間にわたり役場として使われた後、旧所在地の同村中戸から移築され、昭和54年、県指定文化財に。現在も村民俗資料館として活用されている。
この洋館こそ、17世紀に吉野杉の栽培が始まった同村の隆盛を伝える“生き証人”でもある。
香り高く、きめ細かな薄紅色の木肌をした黒滝産の杉は、かつて高級品として珍重され、県外にもたくさん流通した。
村産杉を使った同建物は、築後3年間は林業従事者の組合事務所だった。山あいには珍しい斬新なデザインは、林業の里として発展する同村のシンボルとして、村民に親しまれた。
「しゃれた造りになったのは、道路が未整備だったにもかかわらず、黒滝が当時から都会との交流を大切にしていたということだと思います」。長年林業に携わる村森林組合の中村栄作副組合長(77)がしみじみ語る。
村が最も活況を呈したのは戦後のこと。空襲で焼かれた都会の復興で木材の需要が急増した。日給300円の時代、約2メートルの細い間伐材に1000本3万円の値がついた。材木を満載したトラックが、次々と大阪な
どへ向かった。
「今は二束三文の間伐材でも、昔は飛ぶように売れた。だから、山の管理はすごく行き届いていました」。大木を大きなのこぎりで切り倒し、ロープで引きずり降ろして搬出するのは重労働だったが、巨万の富を生み出す
作業は、やりがいに満ちていた。
だが、昭和40年代に入って安価な外国産の木材が流通し、国産の高級木材は次第に衰退。高品質の吉野杉は健闘したが、やがて他府県産と同じ道をたどった。
「村の林業は今、惰性で流れている状態。このままでは経済の流れに乗っていけない」。中村さんは硬い表情で先行きを憂慮する。
しかし、黒滝では時代を先取りし、林業に代わる特産品作りにも40年代初頭から挑戦してきた。全国初のアマゴの養殖、コンニャク作り、イノシシの飼育…。今や全国各地で行われている村おこしの取り組みは、意外に
も“黒滝発”のものが多い。
村森林組合でも、後継者不足が深刻化する前から村内移住希望の若者を募ってきた。県外から移り住んだ男性の1人は「チェーンソーアート」を発展させ、山奥での創作が、全国に知られるようになった。
また、隣の天川村住民と手を携えて平成15年に発足した「ササユリ組合」は、洋館が見渡せる黒滝・森物語村内の丘に、ササユリ園を開設することを決定。数年内には毎年6~7月ごろに、神話の時代から伝わる淡紅色
の可憐(かれん)な花が楽しめる予定だ。
大正初期の人口約3000人に対し、現在は約1000人。うち中学校以下は80人に満たず、確実に過疎・高齢化が進む同村。しかし、住民の進取気鋭の気風と、挑戦精神は、今も息づき続けている。
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