丸太材の管流
その他緊急増水時用止め場の効果
管流中に増水し始め、丸太材が「一時止め場」を壊して、城川から日置川本流へ流れ出し、さらに太平洋へ流失すると、元も子もなくなってしまうので、損失を少しでも少なくするために、組立てれば相当頑丈な止め場が作れるように、あらかじめ丈夫な杭を常設していた。また必要なワイヤ類も近くの小屋にそろえて置いていたので、短時間で組立てができ、特別な洪水を除き大いに助かったようだった。(
注)常時頑丈な止め場を作っておくと管流のじゃまになるので、必要に応じ組立てた。
当時の山林作業技術者の回想
木修羅・そろばん等の架線や、木馬道の設置、やえんの架線等々の技術はもとより、山林の作業に関しては、先にも述べたとおり設計書も参考書も全くなかった。そのうえ長老や熟練者たちからも「ここではこうせよ」、「そこではこうだ」といったきめこまかな指導はほとんどなく、自分で先輩の作業を見て体で覚えた。
新入りの若者たちは山小屋での炊事洗濯から始まり、ヨキ(斧)、鋸(のこ)、腰鉈(こしなた)、等刃物の研(と)ぎ方、およびこれら器具の安全で上手な使い方、また、スギ、ヒノキ、マツ等の伐倒と造材、丸太の大小と乾燥の関係、強度の具合等々見よう見まねで、泣き笑いを繰り返しながらこれらの技術を、一つひとつ体得してより早く一人前となり、やがては熟練者の後継者として、高い技術を見につけるとともに多くの収益を得るために、さらに工夫改善を加え効率化を図って努力を続けた。
昭和20年代敗戦後の復旧、特に住宅建設の資材供給に私たちも、ささやかながらその一端を担ったものと自負しながら過ごしてきた。
しかしながら現在の林道網羅等の整備充実、林業の機械化の進展等を踏まえあらためて当時を振り返ってみると、実に危険との背中合わせで、しかも非能率的な伐木、運材作業であったかがわかる。その主力も今はもう70歳をはるかに超え、気力はあるものの、体力の衰えは隠すすべもない。<