⑦その他の出材方法(グループや2~3人で取り組むものも含む)
●やえん(つるべ式架線、図⑦):現代のすばらしく発達した架線技術は、やえんが基となっていろいろと改良され今日に至ったものと思われる。
初期のやえんの設置は、地形的に丸太を荷積みする位置から荷を降ろす場所が見える所でなければ、お互いに合図の確認ができず危険なため、その設置箇所は限定されていたようだった。
やえんの構造は図⑦のとおり、太い2本のワイヤーを山の上側とその向かい下側に張り、それぞれ固定し、これに曳策(テール線)で連結した2個の搬器を2本の主策に別々に取り付けた。その位置は、1個は上の盤台の所で、残りの1個は下の盤台の所にした。
運搬は、山の上側で荷積みするとその丸太の自重で自然に下がっていくというもので、加速がつき過ぎると危険なため、曳策の案内車をテコの応用による太い棒で押さえつけてブレーキとした。2個の搬器は一方が下がると一方は必ず上がってくるため、つるべ式とも呼ばれた。
その後、電池式電話機で山の上、下の連絡が取られるようになり、さらに進んでトランシーバーの時代となった。また一方、曳策に動力が連結されてから、その部位の改良もだんだん進み、架線による出材技術が飛躍的に進展したのは周知のとおりである。
▲図⑦ やえん(つるべ式)
●人肩運搬ほか(この方法は個人または2~3人で従事した):少量の間伐材で近距離への搬出は人肩によることが多かった。十分に乾燥した丸太材の太いものは1~2本、細いものは数本を紐(ひも)で束ねて肩で担いで運んだ。棉(めん)入りの肩当てをしていても、夜、風呂に入るとヒリヒリしみることがしばしばあったという。また初心者は息杖をうまく使えず、労力の消耗が著しかった。
上記のほか、山の下り道を利用して、丸太の切り口にトチカンと呼ばれる金具を打ち込み、これに綱を結び、数本まとめて直接地面を曳きずって運ぶ方法も取られた。