架線の普及
さて、昭和30年ごろになると戦前に比べ、すべての面にわたってずいぶん便利になった。
交通機関は発達し、バスはいたるところに通うようになり、トラックの著しい普及は荷物の輸送車情を大幅に改善した。
まだ砂利道が多かったとはいえ、道路は改修された。
それまでの馬車や牛事はいつしか姿を消し、材木の筏輸送も次第にトラック輸送に代わっていった。
ちェうどこのころ私は稲子木材の伐出請負師として京都府奥上林村に赴任していた。
まだ京都府内では架線は普及しておらず、トラックの入るところまでは旧式の木馬、牛車、馬車、手曳き事などで出材していた。
そんな矢先に私が架線搬出を行ったので、通行する人までも珍しがってしばらく見物していたものである。