若いころ先輩たちから開いた話によると、明治時代に初めて 水車式製材所が設立されたという。
つづいて火力製材所が 生まれ各地に建てられていった。
これら水・火力製材所の出現後、林業全般がますます盛んに なり、それまで斧や鋸の入らなかった原生林に次第に開発の 手が伸びていった。
林道がいたるところ開通している今日では、どこに製材所を つくろうとも驚くほどのことではない。
だがほとんどを人力に頼っていた当時、原生林開発の製材所を深山に設けることは 想像を絶する。
三重県備後山、三重・奈良県境の月谷、 奈良風折、木和田奥、そして釈迦岳の一角、白川又、これらが私が知る製材所設置場所であり、ここを拠点に原生林が開発 された。
いずれも大きな山であったが、なかでも白川又はとくに大きい。