こうぞ
カゾ、カンズ などと呼ばれる。
本州、四国、九州、沖縄、台湾、朝鮮半島、中国、台湾の暖帯に分布、山地に野生化するが、ふつう製紙の原料として栽植している。栽培されるコウゾは雌
雄異株で、野生のものより大きく、枝も太く、カジノキとの雑種といわれる。それに対し野生のコウゾはヒメコウゾと呼んで区別されている。
春、葉がのびると同時に淡黄緑色の花を開く。果実は小核果が球状に集まったもので、初夏に赤く熟し、甘く食べられるが、花柱が口に残り、舌ざわりは悪
い。果実酒にもする。
名の由来は紙の材料としていたカミソ(紙麻)が変化したという説が多いが、紙が使われだした時代から考えると、この説は少し無理がある。万葉集にコウゾを意味していると思われる歌が
百種以上あり、そのほとんどが、コウゾから作った衣料を意味している。「たへ、たく、ゆふ」とあるのがそれである。このように万葉の時代ではコウゾは衣料
として利用されていた、紙として利用されるようになったのはずっと後のことである。
江戸時代になると、コウゾは花形で゙茶、クワ、漆、と並んで「産業の四本」と呼ばれていた。また、当時から現代にいたるまで,一貫して代表的な和紙の原料
であった。
その樹皮の繊維は、ミツマタ(三椏)やガンピ(雁皮)に比べ、もっとも長く、強く絡みやすい。そのため薄くとも強靱で、長く保存のきく和紙がつくられた。そして農耕が不可能な恵まれない土地でも
、山地の急斜面や田畑の畔や土手などでも可能であったため、広く楮紙の生産が普及した。
丈夫で美しい楮紙は、よくもんで紙子(紙でつくった衣服)や合羽(かっぱ)としたり、障子紙や朕(ふすま)紙などとして建築材料となったり、提灯紙、傘紙、うちわ、扇子の紙などの日常品としてさまざまに利用された。とくに江戸時代以後生産量は多
くなり、明治以後も手すきの製紙は発展した。1901年ころが最盛期となり、全国で、紙すき戸数は約7万戸もあったという。しかし生活様式の変化や洋紙や機
械すき和紙の発達でコウゾの生産は減少の一途をたどり、昭和40年代には急速に姿を消した。
少年時代に読んだ、マンガ雑誌に第二次世界大戦末期の日本軍が開発した風船爆弾の記事があったが、この材料にコウゾの和紙が使用され、一躍世界
的に有名になった。父によると、戦前は紀州日高川でも真冬凍りつくような川に入って樹皮をさらす風景が見られ、子供心にもつらい仕事と思ったという。
戦前に芥川賞をもらった小説に東野辺薫の「和紙」というのがあり、題名のように和紙の生産についての事が詳しく記載されているというので、読んでみると
、出来上がった和紙からは想像も出来ない苦労がある。冬の最中に、水の中での仕事には苦行に近いものがある。しかも貧しい村はこれで生計を立ててい
たのである。コウゾにとって一番不運な時代であったと思う。しかし、現在は環境意識や自然素材がもてはやされるようになり、少し明るさが出てきている。
- 学名
- Broussonetia kazinoki
- 科
- クワ科
- 属
- コウゾ属