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橋渡しは丸太捧でも
はしわたしは まるたんぼう
仲に入ってまとめてくれるなら、誰でもかまわないし、どんな方法でも結構だ、という
こと。「橋渡しをするのであれば、丸太でも捧げるべきだ」という意味です。この諺は、どんなに小さな手段や貢献でも、問題解決や協力に寄与することが大切であることを示しています。つまり、できることから始めることが重要であり、自分の力や持ち場でできることを尽くすことが大切だという教訓を含んでいます。
利用例
・チームの一員として、彼は自分の立場や役割でできることを全力で行うことを心がけている。彼は「橋渡しは丸太捧でも」の考え方を持っている。
類語として、時の氏神。仲裁は時の氏神。