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鬼も十七山茶も煮端
おにも じゅうひち やまちゃも にばな
とげのある茨も時期がきて花をつければ美しいの意。醜い鬼の娘でも、年頃になれば、色気が出て魅力的に見えるものであるというたとえ。 ただし、このことわざは、正確には「鬼も十八番茶も出花」という言葉であり、醜い鬼の娘であっても、十八という年頃になれば、色気が出て魅力的に見えるものであるというたとえです。 「煮端」とは、煎じたての味も香りもよいお茶を意味する言葉であり、このことわざでは、粗末な番茶でも、一番茶は香りがよく美味しいということから、醜い鬼の娘でも、年頃になれば色気が出て魅力的に見えるということを表しています。
以下とて
「醜い鬼の娘でも、十八になれば鬼も十八番茶も出花となる。
」
「彼女は醜いと言われていたが、十八になった今では鬼も十八番茶も出花だ。」
「醜い鬼の娘でも、十八になれば煮端となる。」