法隆寺天蓋に新旧木材確認
・読売新聞 2008/5/31
奈良文化財研究所(奈良市)の光谷拓実・客員研究員による年輪年代法の調査で、奈良県斑鳩町にある法隆寺金堂の天井に飾られている天蓋(重文)に使用されている部材の一部に、聖徳太子(574~622年)が同寺を建立したとされる607年前後に伐採されたヒノキ材が含まれていることがわかった。また、670年前後の部材もあった。これは新旧の部材を混在して使っていたことになり、金堂建立の経緯解明につながる資料として注目される。天蓋とは、金堂の中央、東西の3か所にあり、本尊・釈迦三尊像や阿弥陀如来像の上に飾られている幅、奥行きが2.5メートル前後仏具のことである。また、年輪年代法とは、樹木の年輪幅が1年ごとに違うことを利用して、伐採年を測定する方法をいう。光谷客員研究員が中央と西側の2つの天蓋の部材計22点の年代を測定。同一の木の部材が使われていることから、2つの天蓋が同時期に造られたことが判明した。そした中央の天蓋で607年ごろ、西側で670年ごろの部材を確認した。日本書紀によると、「670年に法隆寺は火事で焼失した」と記されており、現在の伽藍はこの後の再建という説が有力である。そうなると再建の際に、創建当初の部材が混在して使われていたことになり、富山大教授の松浦正昭氏は「古い時代の部材は、焼失を逃れたものを転用したのではないか」と話す。