森林保全と農業の両立
・日本経済新聞 2008/5/29
1929年のアマゾンが日本人の入植先となり、原生林の真っただ中、マラリアでバタバタと倒れていった。そんな中ジュート(黄麻)やコショウで成功をおさめていった。アマゾン川の河口の町、ベレンから車で4時間のところにパラ州にある旧アカラ植民地、トメアスがある。ここでトメアス郡の農務局長を拝命しているのがミチノリ・コナガノである。彼は長い間、ブラジル人にボランティアで農業を教えてきた。「ブラジル人にお金と肥料を渡し、日系人の農法を教えてやるしかないんだよ」と話す。風変わりな日系人の評判を聞きつけた郡当局が局長にと依頼してきたというわけである。ブラジル人の庭先には種々の果物が混植してあり、1種類がだめになっても他の物が生き残るという畑をつくれば、ひとつの畑から何種類ものモノを出荷でき、経営が安定。そして自然に近いので病気も防げるというのである。日系人がブラジル人と一緒になって力を入れているのが熱帯アグロフォレストリー(森林農業)である。コナガノも、当時のJAMIC(海外移住事業団)の人から、「単作にしないで、3種類の木を植えろ」と教えられた。モノカルチャーを脱し、環境保全と持続的農業の両立を可能にする農法こそ、この世界最高水準の熱帯アグロフォレストリーなのである。