クリからはじまった営み
・産経新聞 2007/12/6
冬を迎えたばかりの、青森県三内丸遺跡。ここは、約5500年前~4000年前まで、集落があり、自然の恵みを享受しながら、多くの人が定住していたことが明らかになっている。この遺跡からは、縄文人の暮らしがわかるものがたくさん出土しており、その中でも、大量に発見されているのが、クリの殻である。それは、もともと、集落の周辺森林はブナやミズナラなどが主流であったが、人間が集落を営みはじめ、クリが突出して増えたからである。また、クリなどの広葉樹は、数十年おきに伐採すると、切り株から新しい芽が勢いを取り戻し、実をつける「萌芽再生」の特質があり、切り出した木は、燃料などに、下草は刈り、山菜やキノコなどの食料の生育に適した環境にしていた。この姿は、馴染み深い里山の姿と言える。さらには、DNAの均一なクリは、気候や害虫で一斉にやられてしまうことを縄文人は経験から知っており、リスクを分散させるべく、自然に近いクリ林も維持していたという。多様な動植物を食料とし、1500年に渡り、ムラは営われていた。中心の広場は、祭祀の場として考えられている。三内丸遺跡対策室の田中室長は「狩猟採取の儀礼、タブーの設定など、祭祀を通じ、自然への畏れ、共生の為の知識が伝えられていったのでは。」と話している。にしても、縄文人の知恵には、驚かされたものだ。