枯れない松つくり
・産経新聞 2006/10/14
鳥取県下では、昭和54年、マツクイムシ「マツノザイセンチュウ病」によって、約12万立法メートルの被害が発生した。センチュウは長さ1ミリ、マツノマダラカミキリによって運ばれるのである。日本では、昭和40年代、九州から北上し、各府県で松枯れたい柵に追われて来た。地域に適した抵抗性マツをつくり出さない限り、防ぐ術はない。「侵されても枯れない松」誕生は県林業試験場に委ねられた。平成3年、鳥取県が独自で着手し、平成4年から国との共同研究で本格化した。具体的には県下の激害地56林から生き残った1120本の候補木が選抜され、それを接木で3万本に増やす。1本ずつ1万頭のセンチュウを人工的に接種。その結果合格できたのは、105本。さらに平成7年度から再びセンチュウ責めにし、過酷さを強いたところ10本から抵抗性が実証された。そして「とっとりパワー松」と愛称も決定した。まさに13年間に及ぶ努力の結晶である。7-8年後には種も量産でき、通常の苗木並みになるということである。