江戸期の禁伐に生きる
・日本経済新聞 2004/12/11
南木曽岳は中央アルプス(木曽山脈)南部に連なる峰の一つを思わせるが、中ア主稜線から木曽側に伸びた長い支稜の末端に位置し、れっきとした独立峰といってよいものである。 西の山裾の傾斜地にそびえるこの山は、村人の里山であった。家康が天下統一を果たして以来、木曽谷の森林の山地は徳川尾張藩の領地として厳しい管理下に置かれ、 寛文元年に、木曽五木といわれるヒノキ 、サワラ、アスナロ、コウヤマキ、ネズコは留山制度により、地元民の伐採が一切禁止されていた。南木曽岳もその地域である。しかし五木以外の伐採はかなり自由であった。 そして55年後、さらにケヤキ、カツラ、カシ、も禁止木に加えられ、住民にとっては不便ではあったが、結果として現在、木曽谷の随所に見事な巨樹や美林、原生林が残されている。留山制度だが、自然を守るうえで何が必要かを暗示しているようである。御嶽山、木曽駒ヶ岳とともに「木曽三岳」の一山とされる南木曽岳は修験道の山であり、山麓は古くから交通の要衝で、山里が多く、山は険しいので登山道は三留野上の原からと大平街道の蘭からの住復路の合わせて三本しかない。山頂には、南木曽大明神、東南の一隅に摩利支天がまつられている。三留上の原に残る巨樹の森や蘭からの道に残る五木の原生林がかもし出す悠久のエネルギーを体感するとき、修験者たちが山に抱いた崇高で敬謙な信仰心の一端に触れたような気がする。