炭焼き職人
・産経新聞 2005/12/5
備長炭の名前の由来は、江戸時代に備中屋長左衛門が広く流通させたからという。また、紀州での炭焼きの歴史にいたっては深く西暦800年代までさかのぼる。基本的な技術は当時から受け継がれている。しかし、戦後におおきな変化があり、それは職人が一つの窯で作業するようになったことである。 昔、炭焼き職人は、山の中を渡り歩き、良い木材(ウバメガシ・アラカシなど)があるところで、釜を作り炭を焼く。そして、また次の木材を求めて渡り歩く。こうする事によって、一箇所の木々を切らないようにし、森の荒廃を防ぐという知恵であった。 しかし、時代が進むと山中にも道路が整備され、木材を容易に運ぶことができるようなったのである。 炭焼き職人の原さんの長男の正照さんは、釜を渡り歩いた父親の言葉に脱帽する。原さんは「一度の100点満点ではなく、70~80点をとり続けなあかん」と言う。しかし、正照さんは「釜はそれぞ性格が違う。天気や木の質でも変る。それなのに、父は合格点を取り続けてきた」と目を丸くする。正照さんは「いつか必ず超えたい」とも言う。今も和歌山県の面積の8割が森林に覆われ、木材を加工する伝統的技法を受け継ぐ職人の技と心意気は確実に受け継がれている。