70メートル「七重塔」だった
・読売新聞 2004/11/12
11日、大安寺・西塔跡の平安時代初期の基壇跡(奈良市教委発表)と関津遺跡の奈良期の建物跡(滋賀県教委発表)の遺跡発見についての発表が2件あった。大安寺・西塔跡の基壇跡は約21メートル四方の大きさ、これは京都の五重塔(現存の最も高い建物)が約14メートル四方の基壇規模であることから、五重塔(高さ31.55メートル)よりも巨大であったとされる。ここから高さを推定すると約70メートル(七重塔)であるとされる。また、この西塔は文献に949年に雷で焼失したあり、同時期に東大寺に約100メートルの東西二つの七重塔が存在していたと記されていることから、推定70メートルが確かな数値であることが裏づけされる。二つ目の関津遺跡の奈良期の建物跡は、最大南北8.4ートル、東西4.2メートルあった。8世紀頃の建物とみられ、全部で13棟。内9棟は床を支える柱がある構造(総柱建物)で倉庫らしく、建て替えを繰り返し、9世紀初めまで使われたと見られる。遺構が田上山から約5キロで、すずりなどの遺物も出土していることから、正倉院文書に記された、東大寺造営の際に設けられた「田上山作所」の関連施設と判断される。