人々の心支える大樹
・毎日新聞 2005/9/23
大阪、谷町7丁目交差点手前の道路の真ん中に楠の大木がある。楠大明神といい、若木が数本あるが、真ん中にしめ縄が巻かれた枯れた木が大明神である。元々は、本照寺の境内に生えていたもので、1937年の旧道の拡張で境内の一部が道路になった。しかし、祟りを恐れて切られることは無かった。 「道の様子から歴史がわかる」と西俣さんは言う。谷間筋を少し南にいくと、東側のお寺は土堀だが、西側のお寺の堀はコンクリートである。江戸時代まで遡れば、谷町筋は6mの幅だったが、大阪万博で40mに拡張された。そのとき、西側が立ち退いた。その谷町筋に国史跡指定の近松門左衛門の墓がある。1967年まで、近松寺とも呼ばれた日蓮宗の法妙寺があった。谷町筋の拡張で寺は移転。しかし、墓は移転されなかった。これは、移動させると国史跡の指定解除となってしまうからだ。現在は大阪市教委などが要請し、残し、管理している。しかし、墓はマンションとガソリンスタンドの隙間、日も差さないところにヒッソリとある。西俣さんは「大阪の文化行政の貧困さの最もたるもの」と憤慨する。