木の言いたいこと探り続け樹医30年
・読売新聞 2005/7/13
日本樹木保護協会の代表山本光二さん(51)は「木のお医者さん」として30年間、国の天然記念物を含め600を超える古木を治療してきた。大学卒業後、日本で初めて樹医と名乗った山野忠彦さん(1998年、98歳で死去)とであったことがきっかけである。当時の造園業にはない「弱った木を再生するという発想」は新鮮であり、師から生きた知識を学び、20代で後継者に指名された。「若いんだから、もっと生産性のある仕事をしたらどうだ」と言われたり、「掘る前になぜ『根が腐っている』と言えるのか」と詰め寄られたり、「かれたのはお前のせいだ」と的外れな指摘を受けることもあり、悔しい経験もした。このような経験をするたび、樹医の知名度を高める必要性を痛感したという。治療した樹木の細かなカルテを作り、データとして後世に伝えるようにするなど山本さんは地道な努力を行い、また、世間の風向きも変わり始めた。地球環境問題の関心が高まり、「木を大切にする時代」が訪れた。樹医とは別に、91年には林野庁の提唱で「樹木医」制度ができた。日本樹木保護協会の樹医は現在、山本さんを含め10人。樹医だけで生計を立てるのは難しく、造園業を営みながらの日々だが、山本さんの門をたたく若者は増えている。「木の言いたいことが分かるとそりゃうれしい。ボクは山野先生と次世代をつなぐパイプ役ができれば十分なんです」と山本さんは話す。