古代史の重要事(大化の改新など)件の舞台となった槻の木の広場が、奈良県明日香村の飛鳥寺西法遺跡の発掘から、少しずつその姿が明らかになってきた。飛鳥寺の発掘調査から半世紀で、初めて広範囲の石敷きを発見。ここを槻の木の広場の中心部に相当する可能性があるという。古代の人々は槻(ケヤキ)を神を宿る聖なる木と認識していた。ただ槻の木が生えていた痕跡は見つかっていない。