1864年、幕末期の禁門の変に伴う大火で祇園祭・山鉾巡行の大船鉾が焼け、「休み鉾」となっていたが、2015年頃に復活を目指して動き出した。現在、住民らからなる四条町大船鉾保存協会(京都下京区)が市内で鉾の胴体部分を制作中である。室町時代の1422年に造られたといわれている。隣町が「出陣の船」なのに対し「凱旋の船」と呼ばれ、ともに神功皇后をご神体としている。大火から逃れた大船鉾の皇后像や懸装品を宵山に限って展示する「居祭」を行なってきた。1995年から中止になっていたが、1997年にお囃子を復活させた。また山鉾の「33基目」として今年4月に祇園祭山鉾連合会の正式会員となった。9月完成予定の胴体部分は、全長6m、高さ4.8m、最大幅2.5mで三重県産ヒノキで作られている。参考として幕末から明治期に活躍した幸野楳嶺が描いた掛け軸などを用いた。胴体の次は屋形部分に取りかかる。松居米三理事長は「鉾の制作が進むにつれ、巡行復帰への機運が高まってきた。多くの人に協力してもらえたら」と話し、復活のために必要な総額1億2000万ほどを保存会は寄付を募っている。