ブッダが悟りを開いたといわれる菩提樹がブッダガヤのマハボディー寺院(大菩提寺)にある。空に広がる巨大な枝ぶりや先が細長く伸びたハート型の葉をしている。イチジクの仲間であるこの木は、インドではアシヴァッタまたはピッパラと呼ばれ、悟り(ボディー)を「菩提」と音訳したことから、菩提樹が通称となった。ただし、 日本のボダイジュとは種類が異なるのでインドボダイジュと呼ぶ。菩提樹は何度か切られた過去がある。アショカ王は仏教を保護しており、菩提樹を供養したが、外道を信仰する王妃が木を切り倒してしまった。王は牛乳をかけて祈願し、みごと再生させたとう。紀元前3世紀の話である。唐の玄奘の『大唐西域記』の中で、7世紀に仏教を排斥した王によって4、5丈に伐採されたと記述がある。この菩提樹の下でブッダは何を悟ったのだろうか。人間が前世・現世・来世を流転する輪廻を12の因果関係で、過去の悪業の報いとして現在の不幸があるという考え方につながる「十二因縁」だと言われている。しかし、これは後の説であり、悟りのときのものではないと中村元(インド哲学者)はいい、その内容には諸説あり、「一語で表明することは非常に困難である」と話す。ブッダは世間の人々に悟りを説くことに躊躇したという。「わたくしのさとったこの真理は深遠で、見がたく、難解であり、…よく知るところである」(『ゴータマ・ブッダ』Ⅰ)とまた「貪りと憎しみにとりつかれた人々が、この真理をさとることは容易ではない」と仏典に述べられている。ブッダは人々は物事に執着し、こだわりを楽しんでいるから、説いても無駄だ、と考えたのである。悟りへの第一歩は、物事への執着をやめ、貪りや憎しみの気持ちから離れることが肝心であるとわかる。世界各国からやって来た仏教徒が、マハボディー寺院の菩提樹の木陰でブッダの徳をしのんで礼拝し、赤や黄、オレンジ色の衣をまとった僧侶らが瞑想に励む。2000年以上のときを超え、菩提樹は信仰の姿を見守ってきたのである。