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新聞からの木の豆情報

人工の森・六甲

・産経新聞 2011/10/24

かつて六甲山ははげ山であった。現在の市街地から眺める緑豊かな山容から想像できない。明治14年、植物学者である牧野富太郎博士は、随想『東京への初旅』で六甲山の様子を<私は瀬戸内海の海上から六甲の禿山を見て、びっくりした。はじめは雪が積もっているのかと思った>と書いている。はげ山となった主な原因は、安土桃山時代、豊臣秀吉が大坂城築城の為に大量の大木や石材を伐り出し、見返りとして「草木採取勝手たるべし」と布令したことによるそうである。伝染病が流行った明治33年に 六甲山に布引貯水池が建設されたが、大雨のたびに土砂が流入し、町も洪水による大きな被害を受けていた。明治35年、水源涵養と砂防のために六甲山系の再度山を中心 に植林が始められた。つまり、私達がみる六甲山は人工の森なのである。植林を始め約半世紀が経ち、新田次郎の『孤高の人』の冒頭では、神戸市街地を望む高取山の山 頂から始まり、六甲山の春秋を<色が踊る>緑豊かは山々であると表現されている。また、「毎日登山発祥の地」でもあり、陳舜臣の『神戸ものがたり』の「布引と六 甲」では外国人の毎日登山の習慣のと隠された楽しみが描かれた恋物語がある。いよいよ紅葉の季節が始まり、山本周五郎の『須磨寺付近』や山崎豊子の『華麗なる一 族』で出てくるが、「湖」がおすすめである。摩耶山に近い「穂高湖」、生田川の源流の「獺池」、”隠れ湖”のような「雄池」など、紅葉を映した静寂の中で過ごすこ とができる。今年で110年も経つ六甲山の植林だが、人工林が安定するにはあと100年は人の手を借りなければいけない。緑豊かな六甲山があるのは行政の力だけでなく、 山を愛する市民のおかげであり、まさに六甲山は「ふるさとの山」である。

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