奈良県桜井市の雄略天皇の宮殿「泊瀬朝倉宮」の跡という説がある脇本遺跡で、6世紀後半~7世紀の大型建物跡の一部が見つかった。柱の太さが飛鳥京(明日香村、7世紀後半)の中枢施設に匹敵する規模となっている。奈良県立橿原考古学研究所「建物の性格は不明だが、5世紀から飛鳥時代まで代々、重要な場所だった」と話す。柱穴は深さ0.5~1メートルで、楼閣などは高層建築だった可能性があり、6世紀後半の欽明天皇の時代に建てられ、6世紀末~7世紀初めの飛鳥時代以降に建て替えたとみられている。建物跡は東西約7.4メートル、南北8メートル以上。柱の直径は48~58センチである。同研究所は「飛鳥が都となった後も、一帯に継続して大型施設が建てられた」とみている。