吉野山と桜の歴史は、7世紀までさかのぼり、山岳宗教である修験道の開祖・役行者が、吉野での苦行の果てに悟った「蔵王権現」の姿を、桜の木に刻んだ。修験道が盛んになり、蔵王権現信仰が広まると、桜は神木となり、参拝者らの献木で植え継がれていったのである。仁王門をくぐると、高さ34メートルの蔵王堂がそびえ立ち、檜皮葺きの屋根の力強さに圧倒される。吉野山を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」は2004年に世界遺産登録された。その後すぐに観光客が増え、桜は根元が踏み固められて傷みが目立つようになっていった。桜並木を守るため吉野町は、2006年から観光バス駐車場を予約制にし、10000円から15000円の協力金を徴収し、苗の植栽費などにしている。観光商工課長の山本茂之さんは「吉野の桜が永遠に咲き続けられるよう、観光客にも力を貸してもらっている」と話す。また、「吉野山保勝会」は住民約60人でつくられ、1916年から下草刈りや肥料やりなどの活動を続けている。桜のほとんどを占める野生種「シロヤマザクラ」の平均的な「樹命」は100~120年であるが、ここ数年は樹齢30~40年の若木に立ち枯れが増えているという。そこで吉野山保勝会は京都大大学院教授らに調査を依頼した結果、樹勢が衰えた木にコケや菌類が繁殖し、土壌も樹木を腐らせる菌に汚染されている実態がわかったのである。危機的な状況に、同会渉外部長の水本和幸さんは「戦後、ライフスタイルの変化で手入れが行われなくなり、山が荒廃した。自分たちの子どもの頃は、苗を育てて山に戻していた。同じ手間と情熱をかけないと桜は保てない」と語る。会は約1000粒の種を取って今年2月から育て、5月には苗を山に植える計画である。