和田氏は1999年「もうけ話がある」と誘われて西アフリカのガーナまで出かけたが、アテが外れてしまった。そこで貿易でもしてみるかと考えた。あれこれ調べるうちに、農業の貧しさに気づいた。ガーナは北がサバンナで南は熱帯雨林である。北の住民は狩猟や炭焼き、焼き畑で暮らし、木を切り尽くすと次第に南下してくる。後に植林などしない。しかも炭は穴を掘って蒸し焼きにして作っているため効率が悪い。ガーナにはインドセンダンが多く、成育が速く乾燥にも強い木である。これを密に植えて、何割かを間伐して炭に焼けば、生活もできるし、残った木が森になる。製材所のおがくずや、油を採った後のヤシガラも日本の技術なら炭にできる。そう思NPO「ガーナ農林工芸振興協会」をつくった。和田氏はこの夏、帰国して「炭焼き博士」と呼ばれる杉浦氏に弟子入りした。杉浦氏はケニアで炭焼きを指導したことがある。インドセンダンは6年か7年で太さ20センチになり、炭にするにはちょうどいいのである。1942年。太平洋戦争の真っ最中、「石油の一滴は血の一滴」と言われ、マツの根からは松根油が作られていた。1960年代に日本の工業用燃料が石炭から石油に移った時、炭鉱には手厚い補償があったのに、木炭にはなかったのを今も憤る。1970年代からは木炭を農業に使えと主張し続けてきた。炭を土に入れれば土壌の酸性を中和し、保水力を高める。有害物質を吸着し、水質も向上させる。炭はもう分解しないから、二酸化炭素を土中で固定することにもなり、温暖化防止にも役立つ。炭焼きの途中で出るガスからは木酢液がとれて農薬の代わりになる。杉浦氏はこんなキャッチフレーズを作った。「炭焼きは地球を救う」日本の炭焼きは1960年代から衰退の一途である。杉浦氏の手ほどきを受けた和田氏は、来年ガーナに戻り、アフリカで炭を焼く。