日本列島の南と北では、植物相は非常に違っている。北海道旭川生まれの馬場氏は、1978年に琉球大学の助手になったとき「海の中に木が生えてる!」マングローブの地を踏み驚いた。植物は実は激しい競争社会を生きている。競争を避けて他の植物が苦手な海辺で生きられるように適応した植物群がマングローブである。奄美や沖縄にはオヒルギ、メヒルギ、ヤエヤマヒルギなどが自生している。根で海水の塩分を濾過したり、吸収した塩分を葉から出したり、独特の仕組みを持っている。この仕組みを解明してイネに応用できれば、世界中の海岸を水田にすることができる。海面上昇にも対応できる。研究と並行して植林も行っている。マングローブは海岸の浸食を防ぎ、魚やエビ、貝のすみかや繁殖の場になり、成長すればよい材木や燃料になり、葉は家畜の餌となる。また、二酸化炭素の吸収が良く、地球温暖化の防止に役立つとも言われる。馬場氏はアラビア半島やインドに通い、現地の人々と協力して苗木を育て、植え付ける作業を続けてきた。インドでは毎年80ヘクタールを植えている。「これをやると利益になるとわかってもらうことがだいじ。『牛の餌になるから、植えよう』と。ラジオもないような土地で地球温暖化がどうこう言っても通じません」マングローブには人を夢中にさせる何かがあるらしい。もっとも、川崎市の向後氏のきっかけはもっと現実的な計算であり、1977年に訪れたクウェートで「砂漠を緑にすれば大もうけができるな」と考えた。だが地下水は少ないし、海水の淡水化は金がかかる。思いついた。「マングローブなら可能だ!」東京農大探検部時代の仲間らに出資を募り、日本山岳会長で化学者の西堀栄三郎氏を顧問代表にして、東京に株式会社「砂漠に緑を」を作った。ヒルギの仲間は、木についているうちから芽や根を出した苗木状のタネをつける。アジアや中東の各地でその苗木を集めてはクウェートやサウジアラビアの海岸に植えてみたが、塩分濃度、土地の肥沃さ、潮の干満の大きさなどの難しい要素ばかりでうまく育たなかった。砂漠は暑い。夏は50度にもなる。だが問題は冬の夜は0度近くに下がる寒さである。試行錯誤の末、10年かかり、どうにか育てる方法が見つかった。「大もうけ」どころか、持ち出し続きだった向後氏はアラブ首長国連邦アブダビの沖の石油基地で1983年から5年間、悪戦苦闘してマングローブを植えた。2000年に見に行った馬場氏はマングローブが風よけのネットごと残っていて感動したのである。