2002年の夏、福島県只見町の職員、新国氏が京都大名誉教授の河野氏と保安林を歩いていると、チェーンソーの音がし近寄ると直径1メートルほどのブナが倒されている。何人もの男たちが2人の姿を見て逃げた。帰って調べてみると、この伐採は県との協議手続きを経てはいない違法であった。しかも森を守るのも仕事のはずの森林管理署が行っていたのである。1997年から違法伐採は行われ、切られたブナなどは44カ所、2万4千本にものぼっていた。新国氏は親しい新聞記者に知らせ、報道がきっかけで市民団体の間に抗議の動きが広がったのである。1969年に町が大水害に見舞われた時、原因はブナ林の乱伐にあると抗議を繰り返した町議会も加わった。2007年になって、林野庁は会津地域で国有林の天然林伐採を一切やめると決め、この地域の国有林、約8万4千ヘクタールをすべて「奥会津森林生態系保護地域」に指定した。本州では最大規模である。ブナは従来は椀や皿の材料や炭の原料になったが、腐りやすく、狂いも多いことから建築用材としては好まれず、戦後は多くが伐採され、その伐採は大規模かつ徹底的で、「ブナ退治」とさえ呼ばれたのである。しかし、自然保護の機運が高まるにつれて評価は劇的に変わり、奥山で切り残されたブナは豊かな自然の象徴と見なされるようになり、白神山地のブナ林は世界遺産にも指定されたのである。また、ブナの実はドングリとしては珍しく生のままで食べられ、クマなど野生動物の貴重な餌でもある。元々は野鳥好きだった新国氏は事件がきっかけでブナにのめり込み、2005年には「世界ブナサミット」を開いて内外の研究者とのネットワークを築いた。1999年に町が建てた「川の歴史博物館」も、2009年には「ブナと川のミュージアム」と名前を変更した。