東京には皇居に新宿御苑、明治神宮、社寺の境内と森がいっぱいである。中でも明治神宮の森は、一風変わった成り立ちをしている。明治天皇と昭憲皇太后をまつって1920年に創建され、今年で90年である。面積は東京ドーム15個分とたいへん広い。森造りを任された林学者本多静六らは、常緑広葉樹を中心とした土地本来の森を構想したが、時の首相大隈重信がこれを聞いて猛反発する。常緑広葉樹とはシイやカシのたぐいであり、「神宮の森を雑木のやぶにするのか」と。伊勢神宮や日光の杉並木のように、荘厳な針葉樹の美林にすべきだと大隈は主張した。西欧流に完成された庭園を想定していた明治の元勲には、雑木林は我慢できなかったのだろう。しかし、本多らは科学的な根拠をあげ、ねばり強く説得した。乾燥した関東ローム層ではスギは十分に育たない。常緑広葉樹林はやぶではない。常緑樹でなければ東京に永続する森は造れないと。大隈もついに折れた。全国の篤志家から寄せられた献木は計9万5559本にもなった。針葉樹も3割あり、広葉樹の間に植えることになった。宮司の中島清太郎が45年前に勤め始めた時、針葉樹はまだいくらか残っていた。社殿の四隅にもマツがあったが、今はない。「淘汰とあえて言います。役目を終えて淘汰されたんでしょうね」当初365種あった木は、今は245種に落ち着いたのである。警衛管理課主幹の沖沢幸二は神宮に来て10年。以前は林野庁職員で、長年現場で青森ヒバ、秋田スギ、木曽ヒノキを見てきた。いずれも戦後の造林で重視されてきた針葉樹の美林を代表する。もし大隈の言う通りにスギの純林を造っていたら?「非常に悲しい森になっていたでしょう。高さが十数メートルで直径もせいぜい20センチくらいの、貧相な森に」空き地にはまず日なたを好み成長の早いアカマツやシラカバなどが生える。やがて土地が肥えるとシイやカシなど日陰に強い木が育ち、マツが枯れるころには大きく育って、その下にヤブツバキなどの低木が育つ。低木は実をつける木が多く、獣や鳥のすみかになる。シイやカシの大木が枯れればその下にまた幼樹が育つ。 森の「遷移」と呼ばれるこうした変化を、本多らは目指したのだ。間伐や枝切などの人手を加えずに、自然に世代交代する森。神宮の木々はすでに古木の風格を漂わせているが、樹齢90年は森としてはまだ若い。今が一番元気な時だ。本多らは100年先の姿を見通し、森をあえて完成させずに後世に託したのである。