大塩平八郎が住んでいた大阪市北区天満の屋敷跡近くで、ゆかりの木、「えんじゅ」が植樹された。えんじゅは、乱の際に大塩らが放った砲弾が命中したとされる木で、植樹作業には大塩の同僚だった大坂町奉行所の与力の子孫らも参加した。「木には大阪の未来を見守ってほしい」と思いを語った。大塩平八郎は1837年2月19日、大飢饉のさなか、民衆の苦しみをよそに米価をつりあげる商人への怒りと、腐敗した幕府への抗議のために門弟らとともに乱を起こした。えんじゅは中国原産のマメ科の落葉高木。大塩の屋敷の向かいにあった同僚の朝岡助之丞の屋敷に植えてあり、乱の際に大塩側が放った砲弾の一発が命中したとされる。しかしこのえんじゅの木は乱のあとも約150年にわたって生き続けた。しかし、昭和59年、排ガスなどで内部が腐ってきたことがわかり、安全のため伐採されたのである。その後、植樹された木も再び枯れたため、記念碑だけが残されていた。今回は大阪国道事務所による街路樹維持作業の一環として3代目となる木を植樹。朝岡助之丞の子孫にあたる朝岡氏らが、国道1号沿いに続くケヤキの街路樹の間に高さ約4メートルのえんじゅの若木1本を植えた。朝岡氏は「木が撤去されて寂しい思いをしていました。新しい木には100年、200年と大阪の未来を見守ってほしい」と話した。また、大塩事件研究会会長で三重大学名誉教授の酒井氏は「解決すべき政治問題が山積の現在の社会状況は、大塩の生きた時代とよく似ている。この木を日本の未来を考える素材として、長く語りついでもらいたい」と話している。