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新聞からの木の豆情報

マタギたちの今no.3

・読売新聞 2009/2/18

秋田・岩手の県境の和賀山塊に深いブナの森あり、仙北豊岡マタギがここを猟場としている。ここのマタギの先々代シカリ(マタギの統率者)は「クマとりサン 公」の異名をもつ藤沢佐太治。クマ撃ち名人の口ぐせは「思いあがってはいけない。われわれは山に生かさせれている。クマも木もわれわれみな同じなんだ。」藤沢シカリは山から得るだけだけではなく、魚が上流にいけなくなっている魚止めの滝では、下流で釣ったイワナを上流で放流した。また、自宅でキジやヤマドリを育てて放鳥したりしていた。また、山の中腹にクマが好物であるクリの木を埋め始めた。これは、里へクマが下りないようにする為だ。和賀山塊の奥深くにはマンダノ沢と呼ばれる猟場がある。そこには、「お助け小屋」と呼ばれる小屋がある。マタギたちはときには数日もの間、猟場に入ってクマを追う。その間は木材を森から調達して三角屋根を作り木の皮で屋根をふいた簡易なマタギ小屋で暮らす。1972年にこのマタギ小屋を藤沢シカリはトタンぶきの15平方メートルの小屋に建て替えた。「山には渓流釣りや山菜採りに来る人も いる。鍵はかけるな、緊急時に食べてもらえる食糧も置いておけ」とシカリは命じた。そして、小屋は「お助け小屋」と呼ばれるようになった。藤沢シカリが2000年1月に89歳で亡くなると違法建築として円臨書が撤去を命じる危機もあったが、全国のマタギたちの署名活動により小屋は守られ、今に至る。藤沢シカリの一番弟子の戸越操さん(71)は、シカリの山との共生の精神を引き継ぐ一人。元は地元の郵便局に就職、25歳で結婚もした。「保険勧誘の訪問で知り合った藤沢シカリの魅力にひかれて」とマタギの世界に入ったきっかけを語る。藤沢シカリたちから山でのシキタリや技術をひとつひとつ仕込まれた。いまでは泉北豊岡マタギの世話役となる。藤沢シカリの後を渡辺清雄さんが継ぐも亡くなった。現在は戸越さんの指名で鈴木隆夫シカリ(58)の時代へと移った。「若い世代の発想と力で、新しい世相に合わせてマタギの伝統文化をなんとか引き継いでいってもらいたい」戸越さんは未来に向けて願う。

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