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新聞からの木の豆情報

マタギたちの今no.1

・読売新聞 2009/2/16

国土の3分の2が森林である日本の山村で狩猟採集文化を継承してきた「マタギ」と呼ばれる人々は、今も社会変化の中で自然との共存をめざしている。古くは山立(やまだち)とも言われていた。白神山地は青森県の南西部から秋田県北西部に広がる山地。その大きさは1万7千ヘクタールに及ぶブナの原生林、世界最大級である。マタギはその山地と深く関わり、そして時代の荒波に翻弄された。工藤光治さんは岩木川上上流部の砂子瀬集落で生まれ育った。目屋マタギの里である。幼い頃より囲炉裏端で父より山の掟を聞き、クマ猟について聞き育った。山仕事には15歳から始めた。「炭を焼き、薪を山からおろし、春はゼンマイ、秋はキノコ採り。雪が降るとテン、カモシカを追い、残雪期には父、先輩たちと山に止まってクマを追いした。すべてがブナの森とともに」と語る。伝統的な山と自然と共生する生活も時代に影響された。1960年になると、目屋ダムが治水目的で建設された。湖底には砂子瀬集落が静かに眠る。住民たちは新しく生きる場として山の奥や高台へ移った。この頃になると毛皮の売れなくなってきた。それまで必要とされてきた薪はガス、灯油などに取って代った。さらにブナ林は収益性が低いと、国はスギの人口林への更新を進めた。次第に人の手が入り、白神の森にも林道が林道が敷かれた。クマタカ、クマゲラ、クマ、テンという森にクラス生き物は山の奥に奥に行くしかなかった。秋田から青森へ横断道路として、青秋林道計画が70年代に持ち上がった。この計画に対し「ブナの森がなくなりゃ、暮らせなくなる」と反対活動の先頭に立った。計画は中止され、開発よりも自然保護と時代は大きく方向を変える。そして、世界遺産に指定される。皮肉な結果であった、猟場である奥山の入山は禁止されてしまった。さらに5年前には鳥獣保護区が遺産区域全域に適用された。さらに、目屋ダムを抱きかかえる形で津軽ダムの計画が持ち上がる。170世帯が2000年から翌年までに山を下った。現在、山を下った工藤さんは「白神マタギ舎」を設立。エコツアーガイドとして森の豊さを伝えている。各地の山林にマタギが入らないようになり、テンが増えた。増えたテンはウサギを食べる。ウサギが減ってしまうと、それを食べているタカやワシ、フクロウが暮らせなくなる。「各地で山林が荒廃してマタギが消え、森のバランスが崩れ始めている」と工藤さんは憂慮している。

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