今年の11月26日に亡くなった京都大学名誉教授の四手井綱英さん(享年97歳)は、落ち葉の清掃が大変という理由で、落葉樹から常緑樹に街路樹を変えた自治体があったという話を聞くと黙っていられなかった。講演や著作で、どちらも葉を落とすことに変わりはなく、時期が違うだけだと話した。彼が林学を志したのは、山好きが高じたからであった。終戦直前に爆撃を受け、死の淵をさまよったが、生き残ったからには、自分のすべてを研究に捧げようと決めたという。母校である京大には昭和29年に戻った。そして、「造林学」という講座を「森林生態学」に変えた。そこには、森林の働きの中で、木材の生産は一部でしかない、との思いがあったからである。また、農山村の暮らしに密着した山林を「里山」と呼び、保全を訴えた。それは、木々の緑は人々に安らぎを与え、地滑りや洪水を防ぎ、国土を保全するからである。加えて、炭素を貯蔵する能力があるため、地球温暖化を抑える役割も大きいためだ。こうした彼の21世紀の森林づくりのために、言い残しておきたい、との思いは晩年、体の自由がきかなくなっても衰えなかった。