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- ID:
- 23555
- 年:
- 2012
- 月日:
- 0222
- 見出し:
- なるほドリ:土倉庄三郎はどんな人
- 新聞名:
- 毎日新聞
- 元URL:
- http://mainichi.jp/area/nara/news/20120221ddlk29070627000c.html
- 写真・動画など:
- なし
- 記事内容
- 吉野伝来の造林法確立 私財投じ水路や道付ける
なるほドリ 川上村大滝地区の国道169号の対岸に「土倉(どぐら)翁造林頌徳(しょうとく)記念」と大きな文字で彫った磨崖碑があるね。「土倉翁」とはどんな人?
記者 「日本の造林王」と呼ばれた土倉庄三郎(1840~1917)です。碑近くの山林地主の家に生まれました。杉、ヒノキを密植して間伐を繰り返し、良材を育てる吉野伝来の造林法を確立し、静岡、群馬、滋賀などや台湾でも植林しました。「殖林救国」を説きました。
Q 碑には「頌徳」(功徳をほめたたえる)の字があります。
A 庄三郎は私財を投じて吉野川に材木を流す水路を開き、道も付けています。自由民権運動を支援し、自宅横に私設中学を開き、同志社、日本女子大設立を応援しました。感謝が込められているのでしょう。
Q 碑はいつできたの?
A 死後の21年、村費と知人友人らの拠出金で完成しました。高さ5・4メートルあります。屋敷跡は現在の国道沿いで、家屋は59年の伊勢湾台風で被害を受け撤去されましたが、庄三郎の胸像が建っています。屋敷跡、碑とも村指定文化財(歴史記念物)です。
Q 提唱した造林法は今も引き継がれているの?
A 彼の考えは1898年出版「吉野林業全書」にまとめてあり、基本的な考えは今も受け継がれています。吉野川流域は古くから植林され、同書の「吉野杉の発端」によると川上郷では文亀年間(1501~04)に始まりました。江戸時代中期には密植、多間伐、長期育成が取り入れられています。木目が細
かく真っ直ぐに並び、枝打ちするので節が無い高級材です。
Q 木材不況といわれるけど。
A 吉野も例外ではありません。価格は好況時の3分の1と言う関係者も。美しく高価な吉野杉は床の間などの化粧材に使われることが多かったのですが、生活の変化で日本間が少なくなったのも大きいようです。伐期まで密植しない九州産の倍の年月がかかるのですが。
Q 活路は?
A 吉野材は梁(はり)などにしても強いとされ、間伐材を使う取り組みも始まっています。ただ、「若い層の木材回帰はあるが、節の有無にこだわらない人もおり、吉野材の特色を生かし切れていない」と言う家具製造の若手もいました。
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