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- ID:
- 23088
- 年:
- 2012
- 月日:
- 0105
- 見出し:
- 《いま、大切なもの》3
- 新聞名:
- 朝日新聞
- 元URL:
- http://mytown.asahi.com/aichi/news.php?k_id=24000001201040005
- 写真・動画など:
- 【写真】
- 記事内容
- 環境保護、炭で後押し
【脱サラし事業化へ窯】
家庭の燃料が、木炭からガス、電気に変わり、山から炭焼きの風景が消えつつある。学生時代に林業を学び、社会人になって大量消費の現場を目の当たりにした元営業マンが5年前、美浜町布土に窯を築いて炭とともに生きる道を選んだ。
窯の周囲には、里山から切り出したウバメガシなどの天然木やモウソウ竹が積まれている。内部は高さ1・15メートル、幅2・4メートル、奥行き3メートル。竹炭なら一度に約300キロ製造できる。ここに月2回のペースで火を入れるのは、知多市の製炭会社「炭宝社」社長、神野悦夫さん(59)だ。
10日ほどで窯の温度は、体に汗がにじむ程度に下がる。中で炭を取り出すのは小柄な妻。神野さんは外で、それを受け取る。
作業後はぽかぽかの窯の中で体を休める。「癒やし窯と呼ばれるほど心地よく、至福の時です」
◇
神野さんがUターン就職のために選んだのは産業廃棄物処理会社。様々な業種のメーカーから、工場のごみを預かり、分別、処分する仕事だった。特にバブル期は、食品から紙おむつ、布団まで新品なのに売れ残ったという理由で、トラック何十台分も引き取った。
処理量が増えれば、もうかる。しかし、大学では林業を専攻し、野鳥の会にも所属した。環境にやさしく、シンプルな生き方にあこがれただけに、次から次へと無駄を生む大量消費社会に疑問を抱いた。
◇
神野さんが炭焼きに興味を持ったのは、そば屋に置いてあった入門書を、偶然手に取ったのがきっかけだ。環境保護に役立つという炭の効能にほれ込み、設楽町で基本を学べる講座があると聞いてすぐ申し込んだ。だが、第二の人生をこれにかけようと決めたとき、「趣味ならともかく、食えないぞ」と引き留
めたのは指導者の方だった。
それでも「体力に余裕があるうちに」と30年以上勤めた会社を辞めた。
炭焼きを事業として続けるには、肝心の炭が売れなくてはならない。そこで注目したのが、炭を土壌改良材として使う循環型の有機農業だ。
炭は、内部に無数の穴が開いた構造を持つ。これが土壌の保水性を高め、栄養分や水分を蓄積。肥料を頻繁にやる必要がなくなり、雨が降って川や海に肥料が流れ込むのを防げる。
また、炭の穴が微生物のすみかとなり、有機肥料が効率よく分解し、植物が吸収しやすくなる効果もある、という。
さらに、炭焼きが盛んになれば、間伐で山に光が入り、荒れた竹林や雑木林が元気になる。
有機農業向けを中心に炭焼きの事業化に挑んで5年。最近は室内の湿気を調整する住宅資材としても売れるようになってきた。
今年、神野さんは新しい事業に挑戦する。知多半島で発生する牛ふん、鶏ふん、漢方の薬草くずに、粉炭を混ぜて発酵させ、堆肥(たい・ひ)をつくる試みだ。意欲的な農家に販売し、農産物のブランド化に結びつけたい。そんな夢を抱いている。(佐藤仁彦)
【大震災と私】
●宮城の松、修復助けたい
美浜町の奥田海岸で、枯れてしまった松原を取り戻すため、炭と一緒に、ショウロというキノコの菌を付けた松の苗を植える活動をしています。炭の関係で、地元住民の「知多美浜松露(しょうろ)研究会」から、声がかかったのです。
宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)海岸では、松林が津波に押し倒されたものの、岩手県陸前高田市の松原ほどの壊滅ではなかったそうです。津波の勢いを、ある程度抑えてくれたのでしょう。
いま閖上の松林を復活させようと、同じく海岸林の修復をめざすグループ「白砂青松再生の会」が、全国に呼びかけています。別の場所で松の苗を育て、数年後、現地に植える計画です。私もこの活動を手伝いたいと考えています。
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