v10.0
- ID:
- 25261
- 年:
- 2012
- 月日:
- 見出し:
- 早く戻ってきてね・・・一本松切断
- 新聞名:
- 読売新聞
- 元URL:
- http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/iwate/news/20120912-OYT8T01402.htm
- 写真・動画など:
- 【写真】
- 記事内容
- 「被災地を支えてくれて、ありがとう」「保存作業を終えて、早く戻ってきてほしい」――。東日本大震災の津波から唯一残った陸前高田市の「奇跡の一本松」の切断作業が行われた12日、地元の住民や観光客らは手を合わせたり、目元をハンカチで抑えたりしながら、震災のシンボルが姿を消す様子を見
守った。
一本松の切断作業現場や一本松を見渡せる気仙川の堤防沿いには、早朝から大勢の人たちが集まった。
現場を訪れた陸前高田市気仙町、無職熊谷勝也さん(74)は震災当時、津波が高田松原に押し寄せる様子を高台から目撃した。「引き波が松も家も人も全部持って行った。あれから数か月は生きることに精いっぱいで、松のことにまで気が回らなかった」と振り返る。
熊谷さんは震災後、日課の散歩を続けながら、ほぼ毎日一本松を見てきた。7月には青い新芽が目に止まった。「津波を目の前で見た私でさえ、なぜ一本松だけ残ることができたのか分からなかったが、きっと生命力が強かったんだろう」と感じたという。
「一本松が同じ場所に再生され、その脇に新しい松が植えられ、また松原になっていくんだと思う」。白砂青松の景観が戻ることを願うように作業を見守った。
同市出身で東京都在住の建築業菊池武さん(39)は、この日が一本松の切断される日だと知らなかったが、たまたま休みが取れたため現場を訪れた。
長部漁港近くにあった菊池さんの実家は津波に流された。約1か月後に訪れた際には基礎だけしか残っておらず、言葉を失った。幼い頃から親しんできた高田松原を見て、「『これだけしか残らなかったのか』という思いと『1本だけでも残ったのか』という思い半々だった」という。一本松が切られていく姿を見ながら
、「陸前高田を有名にしてくれた木。シンボルとして残るのも悪くない」と語った。
東京都港区、大学4年生白井宏美さん(22)はボランティア活動などで同市を度々訪れている。「いまだに、ここに7万本もの松が並んでいたとは信じられない」と話す。高田松原を復活させようと、マツの苗木を育てる活動にも参加しながら、一本松を現在の形で保存することの意味を考えてきた。
「地元の人にとっては、忘れ去りたいものかもしれない。それでも、一本松を見れば、津波の恐ろしさを思い返し、多くの人に伝えていくことができると思う」と話した。
..