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- ID:
- 49372
- 年度
- 2011
- 月日:
- 0106
- 見出し:
- わっぺいさんのわ(5)奈良・法隆寺
- 新聞・サイト名:
- 朝日新聞
- 元URL:
- http://mytown.asahi.com/tochigi/news.php?k_id=09000001101060001
- 写真・動画など:
- 【写真】
- 記事内容
- 古都・奈良の興福寺。8度目の再建になるという中金堂(ちゅう・こん・どう)の建設工事が、2018年の落慶を目指して進む。
長い歴史を持つ同寺だが、今回の工事では初めて外国産の巨木を柱に据える。カメルーン産のアフリカケヤキだ。国内産の大径木は年々、手に入らなくなっている。工事を請け負う地元の瀧川寺社建築の堀内啓男総括所長は「外国の材木で文化財を造るのは初めての経験」と話した。
1995年から毎年1月、和平さんは奈良県斑鳩町の法隆寺の修正会(しゅ・しょう・え)に参加してきた。法要の準備を手伝うため、伽藍(が・らん)(寺院内の建物)の中で生活した。その際、和平さんは宮大工たちから「修理に使う材木が国内にはない」との懸念の声を聞く。大野玄妙(げん・みょう)管長も「
材料不足、優れた長材などの供給が危険な状態だと、みんな言っていた」と振り返る。後に「古事(こ・じ)の森」と名付けられる森づくりが、和平さんの心の中で動き始めた。
そのころ和平さんはひとりの林野庁職員と親交を深めていた。知り合った92年当時、群馬・大間々営林署長だった西堀稔さん(64)だ。足尾銅山のはげ山を案内してもらい、「山を大事にしたい」との思いで意気投合していた。
01年、和平さんは古都での懸念を西堀さんに伝えた。「日本の文化を守る森、400年不伐の森を作ろうよ」と語りかけた。
熱意を受け止め、感動した西堀さんはすぐに行動に移った。「下から積み上げ、担当課を通してということをしていたらいつまで経ってもできない」と、当時の林野庁トップ、加藤鐵夫長官に「旗振りは自分がやる。ぜひ林野庁の事業でやりたい」と直談判。突然の申し出ながら加藤長官は前向きに受け止めたと
いう。関係者の意思が固まったのは同年末、和平さんも加わった会合だった。場所は東京・霞が関近くのやきとり屋だった。
「古事の森」と名付けられた森作りの第1弾は02年4月。京都市の貴船神社近くの鞍馬山国有林に植樹して誕生した。04年3月には奈良市高畑町の地獄谷国有林0・48ヘクタールに「春日奥山古事の森」ができた。ヒノキ、ケヤキ、スギ計2千本を植樹した。地元の春日大社の権宮司や興福寺、東大寺
の執事長などが育成協議会を作り、ボランティアの人たちが森づくりに参加している。
1年に1回の下刈りを5年間。幹が8センチに育ったところで枝打ち。15年を過ぎた頃に雑木を取り除く。20年経てば間伐作業を始める。こんな具合にすべての古事の森について25年先までの活動計画が作られている。
法隆寺の大野管長は「法隆寺の材木は1400余年前のもの。この大きさに育つまでに1千年近くかかっているでしょう。森で伐採されたあとも、伽藍としてずっと生きている」と話す。大野管長によると、木材を大切にする寺の考え方を知り、和平さんはよく「聖徳太子は平地に森を作っていると思うんです」と話し
ていたという。
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