v10.0
一方、県建築指導課は今月20日までにまとめる同分科会の報告書に、無料耐震診断事業の新たな予算の確保や専門家の養成を盛り込む方向で検討を始めた。同課は「地震対策に対する県民の関心は高まっている。何とかして耐震化を進めることが必要だ」としている。
- ID:
- 50667
- >年度
- 2011
- >月日:
- 0606
- >見出し:
- 契りの「渡し船」再び 契りの「渡し船」再び 契りの「渡し船」再び
- >新聞・サイト名:
- 山梨日日新聞
- >元URL:
- http://www.sannichi.co.jp/local/news/2011/06/05/7.html
- >写真・動画など:
- なし
- >記事内容
- 「嫁入りのときのように、もう一度舟で富士川を渡りたい」-。そんな妻の願いに応えようと、富士川町(旧鰍沢町鹿島)出身の建築業斎藤義広さん(78)=甲府市青葉町=は、かつて富士川を往来した木製の「渡し舟」を“復元”した。約50年前の記憶をたどりながら夫婦共同で制作。近く、町内に舟を運び、
8日に関係者に公開する予定だ。梅雨が明けた今夏、妻あけみさん(73)と富士川を渡る。
10代のころから大工をしていた斎藤さん。同じ大工で、渡し舟造りをしていたおじから舟造りの技術を教わった。七面山(身延、早川町)に舟を奉納したこともあるという。富士川左岸の鹿島地区には当時、船着き場があり、対岸の同町箱原地区との間を木造の渡し舟が往来。船着き場には船頭がいて、1日
に多くの舟が富士川を行き来していた。
斎藤さんが、甲府市出身のあけみさんと結婚したのは舟で対岸に渡る「ヨコ渡し」が末期の49年前。あけみさんは嫁入りの際、渡し舟で富士川を渡った記憶が強く残っているという。「振り袖姿でゆっくりと舟に揺られてね。当時は目の前一面が桑畑だった。7年付き合ってやっと結婚できるうれしさと、これからう
まくやっていけるか生活への不安が入り交じっていたよ」。結婚して間もなく鹿島地区と箱原地区をつなぐ橋ができた。富士川を舟で渡ることはなくなった。
大工の仕事が減り、斎藤さんが31歳のときに夫婦は甲府市に移住した。鹿島地区を離れてからも嫁入りのときの光景が鮮明に残っていたあけみさん。「渡し舟で富士川を渡りたい」という思いが強くなった。
以前からあけみさんの願いを気に掛けていた斎藤さんは、長男が家業の建築業を継ぎ、仕事が落ち着いた昨年暮れに知人からスギやヒノキを仕入れ、舟の制作を始めた。当時の舟の写真はほとんど残っておらず、おぼろげな記憶をたどり図面を引いた。自宅に併設する作業場で、おじから教わった技術を
思い出しながら、夫婦2人協力して約半年かけて完成させた。
舟の全長は5メートル30センチで、幅は一番広いところで1メートル40センチ。深さは45センチあり、15人乗ることができる。舟の底に敷く「すのこ」や水をくみ出す「しゃく」、舟をこぐ「ろ」も作った。あけみさんが記憶している舟よりも「やや大きくなった」(斎藤さん)が、ほぼ忠実に再現できた。難しかったのは舟
の側面で、厚さ3センチのスギ材を、時間をかけて変形させ、なめらかな曲線を作り上げた。
8日には同町の交流施設「塩の華」で、地元の知人や行政の関係者に舟を見せる。梅雨が明けた今夏には舟を浮かべ、富士川を渡る。斎藤さんは「時間をかけただけあって百パーセントの出来。生まれ故郷で舟に乗り、川を渡るのが楽しみだよ」と笑顔。夫からの“プレゼント”にあけみさんは「2人でやりと
りしながら造った舟。夢がかなった。ダイヤの指輪をもらうよりもうれしい」と顔をほころばせた。
..