ID :
10828
公開日 :
2009年 3月 9日
タイトル
[ふるさと@おおさか:栃木県 東照宮、岸和田大工制作か
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新聞名
毎日新聞
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元URL.
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20090310ddlk27040513000c.html
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元urltop:
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写真:
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だんじりと多い共通点
入社して、4月で10年になる。入社直後、初めて、出身地の東京を離れ、不安を感じていた私に、多くの先輩が「初任地は第2の故郷になるよ」と話してくれた。言葉通り、5年間暮らした栃木は私の第2の故郷になった
。“ふるさと”と、今住んでいる大阪のつながりを調べてみたら……。
「栃木って、納豆が名物でしょ?」(茨城です)。「からっ風が有名だよね」(それは群馬)--。大阪に来た当初、北関東3県を混同した場面に出くわし、驚き、悲しくなったものだ。「キャラクターが立っていないというか、
地味というか…。農業県ですが、県産物はほとんど大阪には出荷していないんですよ」と栃木県広報課の渡辺慶さんは苦笑する。一方で、文化の交流は昔から盛んだったようで「世界遺産の日光東照宮は、岸和田の宮大
工が手がけたという説がありますよ」と教えてくれた。
岸和田だんじり会館にある岸和田市観光振興協会の松井孝人さんによると、元々、岸和田の周辺は神社建築が盛んだったという。本殿前にある陽明門(国宝)など、破風(はふ)(屋根の横の部分)が反るようにそそり立
ち、豪華な彫刻が施されるなど、だんじりとの共通点が多い。建築方法も「組もの」といい、一切くぎを使わず、木のパーツを一つ一つ組み合わせて作られている点も一緒だ。そう言われてみると、二つはよく似ているよう
な気がする。
日光東照宮にも聞いてみた。東照宮文庫参事で禰宜(ねぎ)の青山隆生さんは「初めて聞きました」と驚いた様子。ただ、東照宮の歴史から、否定はできないという。
東照宮は、徳川初代将軍・徳川家康をまつるため造られたことはあまりにも有名だ。元和(げんな)3(1617)年、現在の場所に建てられた。現存する主な社殿群は、三代将軍家光公によって、寛永13(1636)年に建
て替えられた。
寛永の建て替えの際、近江(今の滋賀県)出身の大棟梁(とうりょう)・甲良宗広が工事の責任者として腕をふるった。宗広は全国各地から腕利きの職人を集め、わずか1年5カ月で完成させた。青山さんは「滋賀と大阪で
、地理的にも近い。率いた職人の中に岸和田の宮大工がいても、不思議ではないかもしれない」と話す。
また、東照宮・東回廊にある彫刻「眠り猫」(国宝)を手がけた名工・左甚五郎が、貝塚市出身だったという説もある。同市の郷土史家が打ち出した説だ。
貝塚市三ツ松には、奈良時代にさかのぼる建築技術者の一族、岸上家の子孫が住んでいる。同家に残る「甚五郎は岸上一族」の言い伝えを知り、郷土史家が9年かけて「左甚五郎は岸上甚五郎義信」だったという結論
を出した。
岸上家の一部は、江戸時代に日光東照宮など幕府直営工事を担当した大工棟梁として活躍した。同家に残っていた文書には、岸上家の初代は「甚五郎左義信 永正元年(1504)誕生」とされ、業績として「泉州堺妙国
寺門、伏見石清水八幡宮拝殿などを建てた」とあった。左甚五郎の作と伝えられているものだという。
広報課の渡辺さんは「県南部で織物業が盛んなのは、京都から製法などが伝来されたと聞いている。文化的な交流には積極的だったようだ」という。現代では、ちょっと疎遠な大阪と栃木だが、約400年前には確かな
交流があった。私の二つの“ふるさと”の奇縁が知れて、うれしくなった。