ID 4805
登録日 2007年 9月25日
タイトル
写真から風の音や桜の狂おしさ 「鈴木理策 熊野、雪、桜」展
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新聞名
朝日新聞
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元URL.
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200709260249.html
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元urltop:
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写真:
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展示室には、空調の音だけが響いている。なのに写真から、森を通る風の音が聞こえ、枝から落ちる雪の振動が伝わる感覚がある。そんな個展を、鈴木理策(44)が開いている。
鈴木は、故郷・熊野や恐山といった「聖地」に至る道程を、連続写真のように画面に収め、00年に木村伊兵衛写真賞を受賞。今回も、熊野の風景や吉野の桜を撮った大型作品を中心に、約50点を見せている。
前半は、熊野の森。薄暗いはずだろうに、画面は潤いのある光にあふれ、印画紙そのものの白、という滝の落水がまぶしい。
凝視した風景というより、フッと振り向いた瞬間の光景、といったイメージに近い。画面の狭い範囲にしかピントを合わせていないからだろう。振り向いた瞬間も視界全体にはピントが合わず、いわば、モノの輪郭より光の
ボリュームを探っている状態だからだ。画面には、そんな身ぶりまでが定着している。
その感覚は、白い雪と白い桜の写真による後半でさらに強まる。
見尽くせないほどに咲く桜のイメージ、という狙いは、やはり一部にしかピントを合わせないことで実現している。その桜の、白い光の圧倒的ボリューム。で、白い光のボリュームに還元すれば、桜の花と、枝に積もる雪
はとても似ていることを、両者の写真を並べて証明する。同時に、決して見間違えることがないことも。
鈴木は、熊野に、吉野に、そして雪の十勝岳に何度も足を運び、撮っているという。しかし、もはや聖地の固有名詞を狙っているのではないだろう。同じ場所で、少しずつ条件を変え、徹底的に要素に還元して、繰り返し
撮る。それは、「人の視覚とは何か」を問う、科学実験のような営みといえる。場所の固有性は、目的ではなく、手段になっている。
そんな理性的な態度と、写真の官能ともいえる身ぶりから生まれる画面だからこそ、風の音や桜の狂おしさが伝わる。さまざまに加工された映像があふれる時代に、この「体験再現力」は強い..