ID 3672
登録日 2007年 4月30日
タイトル
桜さまざま(8)人智を越えた「命の桜」実相寺の山高神代桜
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新聞名
JanJan
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元URL.
http://www.janjan.jp/culture/0704/0704284587/1.php
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元urltop:
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写真:
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世に「山高神代桜」という人智を越えた桜がある。現代の日本人は、とかく桜というとその外見から「美しい」とか「妖艶」とかを連想し、「神秘」的で、「儚い」花というイメージを思い浮かべ、「この桜は、こんな桜
……」と認識をする。
ところがこの「山高神代桜」の場合は、これまで私が見てきた桜という概念を遙かに超えた花だった。いや「花」という言い方も言うのが憚られるほどのさまざまな気が充満している感じがするのだ。むしろそれは、花とい
うよりは「命」そのものが「花の木」という形をとってそこに存在しているといった方が相応しいかもしれない。
数年前、私はこの桜をどうしても見たくなり、新宿駅から中央本線に乗って、日野春駅(山梨県)に降りたった。そこから徒歩で山高神代桜の地を目指した。思ったよりもかなり遠い場所だった。実相寺の長い参道を通り、
お目当ての桜の前に立って唖然としたのをつい昨日のことのように覚えている。
この山高神代桜の周囲は、確かに華やかな桜の園になっているのだが、神代桜だけは、まったく違う佇まいでそこに立っている。不思議な感じがした。今までの桜というものに対する価値観が音を立てて崩れた瞬間だ
った。私は、桜の「命」そのものが、何の衣も纏わずにそこにすっくと立って「居る」のを感じた。
山高神代桜は、日本三大桜のひとつに数えられるエドヒガン桜の古木である。樹齢は1800年とも2000年ともいわれる。最盛期には「高さ13.6m、根本幹周13.5m、枝張りも東西27.0m、南北30.6m」(山梨県・実
相寺ホームページ 「神代桜」より)もあったが、現在は高さ10mほど、幹は12m、枝張りは東西に17m、南北に13mほどになっている。
よく見れば、花はまばらで、幹の中央は折れ、腐食を避けるためか屋根のようなものが乗っている。お世辞にも美しいとは言えない。それでも幹からは人の腕のように太い枝が地面と平行に南北に伸びていて、不思議
な生命力を感じた。
根元に近い樹皮を見れば、その表面には瘤のようなものが点在し、私はには瘤のある部分が、幼子を抱く母の姿(レリーフ)に見えた。びっくりした私は心の中で「これは慈母観音か?!」と思わず叫んだ。少し間をおい
て、背筋が震える思いがじわじわと来た。
ふと見れば幼子抱く母の影樹皮に浮かびて微笑みてをり
近くには桜の由来を記した板碑があった。だいたいこんなことが書いてあったと記憶する。
景行天皇の皇子の日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が、東征の帰り道、この地(山梨県北杜市武川町山高)に訪れた際、どのような因縁かは定かではないが、お手植えになったというものだ。その後時代は下って、鎌倉時
代に、日蓮が朽ちかけている巨木に出会い、ただならぬ気配を察し、一心に神仏に蘇生の祈りを捧げると、その後見事に樹勢が回復し、それからは「妙法桜」の別名も付されるようになった。
また、武田信玄は上杉謙信との勝負で知られる川中島の決戦の際には、この桜のある日蓮宗実相寺において、戦勝を祈願したとも伝えられ、それ以来、この山高の地は「永代祈願所」として今日に至っているという…
…。
それにしても、景行天皇の御代に植樹されたとなると時代は1800年近くにも遡ることにもなり、800年ほど前にの日蓮がその衰弱振りに驚いて蘇生を祈ったというのだから、この桜に込められた人々の祈りというもの
は尋常ではない。
しかし山高神代桜は、1960年代頃より、めっきりと樹勢が衰え、現在でも元気になったとは言えない状況がある。ただ、この日本一の桜の老木を蘇生させようとの支援の輪が全国に拡がりつつある。
現在、北杜市は、周辺のアスファルトを水のはけの良いものに張り替え、交通制限をしている。肝心の桜の根の部分には、地元の樹木医によって桜の若木が継がれ、根の周辺には有用微生物群の溶液が蒔かれるなど
、懸命の努力が繰り広げられている。
世の中にはさまざまな桜がある。美しい桜、妖艶な桜、清楚な桜、可憐な桜……。私は「山高神代桜」を形容しようとした時、命そのものを見る思いがすることから、「命の桜」という月並みな言葉しか思いつかなかった。
しかしこの月並みが素晴らしいのかもしれないとも思う。とかく外見を気にしがちな時代にあって、年老いて少し痛々しい姿でありながらも、少しも飾らず命そのものの強靱な生命力を見せて、蘇生を願う日本中の人々
からこれほど愛される桜を私は他に知らない。
花はただあるがままにて山高の山里に咲く「命」なりけり
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