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- ID:
- 36017
- 年:
- 2016
- 月日:
- 0730
- 見出し:
- 日本キリスト教団弘前教会 洋館に息づく和の粋 /宮城
- 新聞名:
- 毎日新聞
- 元URL:
- http://mainichi.jp/articles/20160730/ddl/k04/070/199000c
- 写真:
- 【写真】
- 記事
- キリスト教が明治期に東北で最も早く伝わった青森県弘前市には、キリスト教関係の建築が数多くある。その第1号は1875年に設立されたプロテスタント教会の日本キリスト教団弘前教会(当時は弘前公会)だ
元弘前藩士でキリスト教に改宗した本多庸一(1849〜1912年)が1874年、弘前藩校をルーツに持つキリスト教主義教育の東奥義塾を設立し、英語教師として米国人のジョン・イング宣教師を招いたのが契機だった。本多は木造平屋の教会で初代牧師として布教に励む傍ら、板垣退助らを招き、自由民権運動の拠点にして活動していた。後には青山学院院長や日本メソジスト教会の初代監督も務めている。そしてイング宣教師がクリスマスに合わせて故郷・インディアナ州から取り寄せたリンゴは、津軽のリンゴ王国を育んだ源流の一つとされる
現在の教会は3代目の建物。1906(明治39)年、双塔式ゴシック風の木造一部2階建て(塔の高さ20メートル、幅16メートル)に建て直された。柱や壁、床、屋根などに青森県産ヒバを使っている。「天井の梁(はり)が、聖書に出てくる鯨の胴内の骨のように湾曲して張り渡されているのが特徴です」と村岡博史牧師は説明する。明治期の木造洋風建築として第一級と評され、県重宝に指定されている
礼拝堂に入ると、東端の後部が大きな襖(ふすま)で仕切られているのが目を引く。1階は3部屋に分かれ、普段は閉じられているが、婚礼時には中央の部屋が通路に使われる。2階は30畳敷きの和室で礼拝堂全体を見渡せる。村岡牧師は「見学者が畳に腰を下ろしたり、たたずんで、物思いにふけったりしている姿をよく見かけます」
こうした和洋折衷は祭具にも見て取れる。礼拝堂前部にある牧師の説教台や信者にパンやブドウ酒を授ける聖餐(せいさん)台の天板には、伝統工芸の「津軽塗」が施されている。村岡牧師は「表面に白い粉を吹いたように装飾された『さざ波模様』を見て、今の職人さんは『どうやったんだろう。分からない』と首をかしげます」と語る。また、柄杓(ひしゃく)状をした献金かごも地元の「あけびづる細工」で編まれている
礼拝堂はプロテスタント教会らしく全体に質素な雰囲気。村岡牧師は「気軽に訪れて、自分を振り返る場所と時間にしてもらえればうれしい」と話す
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