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- ID:
- 35889
- 年:
- 2016
- 月日:
- 0713
- 見出し:
- 巨大なクスノキが守る熊本の甲子園 〈わが街の甲子園〉
- 新聞名:
- 朝日新聞
- 元URL:
- http://www.asahi.com/articles/ASJ753QKJJ75PLZU001.html
- 写真:
- 【写真】
- 記事
- 大クスノキ群が見守る中、熊本大会の開会式で行進する選手たち=10日、熊本市中央区の藤崎台県営野球場、金子淳撮影写真・図版Ads by AOL Platforms[PR] 藤崎台は不思議な球場だ
動画もニュースも「バーチャル高校野球」熊本大会の情報はこちら 大きなクスノキが、入り口で選手や観客を出迎える。球場内で目に入ってくるのは、さらに巨大なクスノキ群だ。外野の芝生席を抱くように7本。中でも左中間の3本は、枝葉が芝生席を覆っている
「だから、この球場はスコアボードが右中間にずれている。すべてクスノキを守るために設計されたそうです」。藤崎台県営野球場(熊本市中央区)を管理する熊本県スポーツ振興事業団課長の葵大二郎(50)が、誇らしげに教えてくれた
樹齢1千年を超えると伝えられる。かつて、この地には藤崎八旛宮があった。1877年の西南戦争で社(やしろ)が焼け落ちたが、クスノキ群は残ったという。1924年、国の天然記念物に指定された。阪神甲子園球場ができた年だ
60年の熊本国体を機に球場が建設された。クスノキ群が大きな木陰をつくる芝生席は人気の観戦エリアだ。枝葉がグラウンドまで伸びて、「枝に挟まったら本塁打」などと特別ルールが作られた時期もあった。「天然記念物なので切るわけにはいきません」と葵は苦笑い。いまは枝をググーッと曲げて固定している
このクスノキ群に届けとばかりに、2人の強打者がアーチをかけた一戦がある
80年夏の第62回全国高校野球選手権熊本大会の決勝。のちにプロ野球西武ライオンズの黄金期を築く伊東勤(53)と秋山幸二(54)が相対した。現千葉ロッテ監督の伊東は名門・熊本工の3番捕手。前ソフトバンク監督の秋山は初の甲子園を目指す八代の4番エースで主将だった
六回裏、まず秋山が0―0の均衡を破る一発を放つ。熊本工の大津一洋(53)も卒業後は西武に入団した好投手だが、「パッと振り向いたら、ボールが消えてた。あんなの、打たれたことないよ」と苦笑する特大アーチだった
直後の七回表、今度は伊東が逆転2ランを打ち返す。終盤は点の取り合いとなり、九回表2死から熊本工が逆転して甲子園出場を果たした
当時の国内では珍しく、両翼99メートルと国際基準の広い球場だ。大会でも、フェンス越えの本塁打は、この2本だけだった
「私たちのように熊本市でない学校の選手は、とくにあこがれた球場です」。八代の一塁を守っていた菅浩(すがひろし)(52)は教員となり、2007年から8年間、県高校野球連盟の理事長を務めた。熊本大会は複数の球場を使うが、全参加校が1度は藤崎台で試合できないか工夫を試みたこともある
「なんと言っても、ここは熊本の甲子園ですから」 4月14日、熊本地震発生。熊本城公園内にある藤崎台球場も、バックスクリーンが真っ二つに折れるなど被害を受けた。レフト側の外野席は約80メートルにわたって根元の石垣が崩れたが、左中間からライト側は崩落を免れた。現場を見ると、クスノキ群の根がスタンドを支え、守ってくれたようにも感じられる
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