v10.0
- ID:
- 35331
- 年:
- 2016
- 月日:
- 0420
- 見出し:
- 京都・豊臣秀吉最後の醍醐花見、一世一代の花見に掛ける情熱秘話
- 新聞名:
- 富山経済新聞
- 元URL:
- fushimi.keizai.biz/headline/35/
- 写真:
- 【写真】
- 記事
- 醍醐寺の桜。秀吉の醍醐の花見の桜の木は残っていない写真を拡大地図を拡大今日4月20日(旧暦3月17日)は、豊臣秀吉が1598年に醍醐寺(だいごじ)三宝院裏の山麓で行った「醍醐の花見の日」に当たる
醍醐寺三宝院横から仁王門そして山並みを仰ぐ 醍醐寺三宝院公室の長瀬福男室長は「醍醐寺中興の祖である第80代座主の義演准后と秀吉の縁により実現したとの記録がある。前年に醍醐寺に来た秀吉が花見の実施を決めていたようだが、実際1598年の旧暦2月9日に徳川家康と、翌10日には前田利家と共に再び醍醐寺に来た上で、三宝院裏山の山麓である槍山で宴を催すことを正式決定して2月13日には工事に入っている」と説明する
記録に残る700本の桜の木は滋賀県や山城各地から集められ、会場周辺に植えられた。桜を植える工事は2月19日に完了するスピード工事だったが、秀吉は工事途中の2月16日、工事完了翌日の20日だけでなく、その後も23日、28日、3月3日、11日、15日に醍醐寺を訪れた記録が残っている
醍醐の花見は秀吉、北政所(きたのまんどころ)、淀殿、前田利家、その妻まつ、それ以外は大名の奥方など女性のみで総勢1300人が参加した
伏見城から醍醐寺までの行列は諸大名の大警備の中で行われ、醍醐寺到着後は槍山へ移動。会場には殿舎、庭園、茶屋が並び、茶会、歌会が行われた
長瀬さんは「秀吉のこの花見に掛ける情熱が分かる記録で貴重だ」と話す。秀吉はこの5カ月後に亡くなることとなる
醍醐寺では、現在も毎年4月の第2日曜に「豊太閤(ほうたいこう)花見行列」を催している
..