v10.0
- ID:
- る
42265
- 年:
- 2018
- 月日:
- 0804
- 見出し:
- 被爆樹守り平和継ぐ 広島の樹木医・堀口さん 161本記録、「2世」普及も
- 新聞名:
- 西日本新聞
- 元URL:
- https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/438527/
- 写真:
- 【写真】
- 記事
- 広島市の樹木医堀口力(ちから)さん(73)が、広島原爆で被爆した樹木を見守り続けている。同市が被爆樹木として登録する161本全てを調査し、一本一本の状態を樹木医や管理者で共有できるよう、維持管理の問題点をカルテ化した。「被爆樹木は被爆者の生きる希望となり、平和のありがたさを今日に伝える存在。長生きできるよう、樹木の尊厳を守っていく」と話す
2日午後、堀口さんは、爆心地から1900メートル付近で被爆した樹木「カイヅカイブキ」に足を運んだ。爆心地側の幹には、縦に裂けたような傷が残り、大きく傾いている。「枝葉が茂りすぎると重みで倒れることもある。5年に1度は枝を少なくしてあげないと」。時間が許す限り、状態を診て回っているという
堀口さんは、宮崎県木城町出身。大学時代、鹿児島県屋久島で見た縄文杉のたたずまいに感動し「木と関わって一生を送ろう」と決めた。福岡県久留米市の植木生産業者で1年間修業し、24歳の時、広島市の造園会社に弟子入り。庭師を目指しているのに、命じられたのは公園や学校への植樹。「思い描いた仕事と違う」と訴えると、被爆者だった社長に「緑化は、平和な街をつくるために必要な産業だ」と返された。「灰色になった街に芽吹く緑から希望や勇気をもらって生きていけるんだ」。木と平和の関わりに気付かされた
27歳の時、日本で初めて「樹医」を名乗った山野忠彦さん=享年98=と出会い「被爆した木を見守ってやったらどうだ」とアドバイスされた。以来、独学で勉強を重ね、48歳で樹木医に。広島の被爆樹木を診る第一人者となった
被爆樹木のカルテ化は、2016年の本格調査の際に行い、半分近くの樹木が健康状態に何らかの問題を抱えていた。「みんなで樹木を守り、後世に残していきたい」。カルテ化には、強い思いを込めている
堀口さんは被爆樹木2世にも愛情を惜しまない。2世の苗を育て、世界各国に贈る活動にも参加。自宅庭には、長崎原爆の爆心地に近い山王神社(長崎市)の「被爆クスノキ」の2世が茂る
1996年、被爆クスノキの保存活動を手伝い始めたという長崎市の式見中の生徒から「僕たちの活動を知ってほしい」と手紙が届いた。返事を書き、育て方を伝授。約1年後、生徒たちから、種から育てた15センチほどの苗木が贈られた。1本は広島市内の小学校に、もう1本は自宅に植えた
クスノキはいま、4メートルを超すまで成長した。当時、式見中教諭だった梅崎由紀さん(65)=長崎市=は「生徒は、被爆クスノキを多くの人に知ってもらいたい一心だった。広島で大きく立派に育っていると聞いて、とてもうれしい」と喜ぶ
「強さと生命力があったからこそ生き残った被爆樹木の2世もまた強い」と堀口さん。物を言わない生き証人と子孫たちをこれからも支えていく
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