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- ID:
- 29363
- 年度:
- 2014
- 月日:
- 0103
- 見出し:
- 平和首長会議:被爆樹木の植林 地道な活動が世界に
- 新聞名:
- 毎日新聞
- 元URL:
- http://mainichi.jp/select/news/20140103k0000e040160000c.html
- 写真・動画など:
- 【写真】
- 記事内容
- 長崎、広島で被爆した樹木の苗や種が2014年度から平和首長会議(158カ国・地域)加盟各都市に配布されることになった。被爆樹木の植樹活動は、草の根的に各地で展開されており、個々の地道な活動が首長会議にまで広がった形だ。
被爆柿の木は、長崎原爆の爆心地から約2・3キロ離れた長崎市の住宅地の一角にある。被爆時は熱線で表面が焼け焦げていた。同市の樹木医、海老沼正幸さん(64)が、木の持ち主の依頼で枯死寸前の木を治療したのは1994年。翌年に初めて苗木を育て、同市を訪れる修学旅行生らに配ったの
が植樹活動の始まりだった。
以降、柿の木は、少なくとも日本を含む22カ国・地域で約1000本が植樹され、各地で大勢の人たちの心を揺さぶった。
現代美術家の宮島達男さんは海老沼さんの活動を知り、「時の蘇生・柿の木プロジェクト」を展開。今では柿の木植樹の中心的役割を果たす。国内だけでなく、スイスの世界保健機関(WHO)本部や米英仏各国にも苗を送付。宮島さんと親交のあるアーティスト、日比野克彦さんも趣旨に賛同し、99年に
はイタリア・ベネチアで柿の木プロジェクトにちなんだワークショップを開いている。
2世の植樹先では、3世の植樹に発展。長崎原爆の被爆者で語り部の吉崎幸恵さん(73)=福岡市=は2012年7月に被爆柿の木を知り、今は3世の苗木を育てながら植樹先を探している。昨年11月20日には同市早良区の百道浜小に2本を寄贈。12月20日には同市東区の城浜小にも贈った。
「原爆で焼け焦げながら助かった木から命をつないだ苗木。校庭に立つだけで平和の尊さを伝えてくれるはず」と吉崎さん。海老沼さんは平和首長会議の植樹活動参加について「平和の輪が波紋のように広がれば戦争もなくなる」と期待した。
一方、広島原爆で被爆したアオギリは広島市の平和記念公園にある。被爆者の故・沼田鈴子さんは被爆で左脚を切断。婚約者は戦死し、自殺を考えていた時、焼け焦げたアオギリが新芽をつけているのを見て生きる勇気を取り戻した。1980年代に語り部活動を始め、被爆アオギリの種を修学旅行生らに
渡し続けてきた。その種は全国3000カ所に広がり、広島市も92年度から苗計7637本を自治体などに配っている。
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