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- ID:
- 32295
- 年度:
- 2015
- 月日:
- 0122
- 見出し:
- 「名木」クスノキ守り続ける住民 名古屋・東区
- 新聞名:
- 中日新聞
- 元URL:
- http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20150122/CK2015012202000054.html?ref=rank
- 写真・動画など:
- 【写真】
- 記事内容
- 名古屋市東区橦木町の国道41号上に立つクスノキの大木を、すぐ前にある花店「名花園」の従業員や地元の人たちが守り続けている。木は片側三車線の車道を覆うように枝葉を広げ、上方を走る名古屋高速の高架を越えるほどの高さ。半世紀前からたびたび伐採の危機を乗り越え、今も「ご神木」とし
て大切にされている。
クスノキは北行きの第一車線と第二車線の間の分離帯に生えている。郷土史文献「東区の歴史」などによると、江戸時代に武家屋敷があった東区一帯は、名木とされる木が二十六本あり、このクスノキはそのうちの一本。樹高は二〇・五メートル、樹齢は三百五十年を超えるといわれる。
木の西側にある「名花園」の従業員が週一度、根元に花束を供え、年一度は幹のしめ縄を交換している。
名花園の敷地内にあったころのクスノキ=撮影年代不明、井上八重子さん提供
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店を長年切り盛りしてきた井上八重子さん(81)によると、一九四二(昭和十七)年に創業した時、店の敷地は今の道路まであり、クスノキも敷地内にあった。「そのころは木の下に神棚を作り、先代は朝晩に拝んでいました」と思い起こす。
六〇年代、道路を拡幅するため切り倒すことが検討された。それを聞いた地元の人たちが、伐採阻止の運動を起こした。
クスノキの根元に花を供える名花園の従業員
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国道を管理する国土交通省名古屋国道第一出張所には、六五(同四十)年十二月、地元の山吹小学校区のPTA会長や自治会長らが「地区に残る名木なので、道路の拡幅工事の支障があるかもしれないが現状のまま残してほしい」と当時の杉戸清市長(故人)宛てに陳情書を出した記録が残る。
井上さんによると、陳情を受けてクスノキを見に来た杉戸市長が「切り倒すには惜しい」と言ったらしい。「木は“鶴の一声”で残ったんです」
名古屋高速道路の建設計画が進んでいた八五(同六十)年ごろ、再び危機が訪れた。元区政協力委員議長協議会議長の鬼頭正男さん(88)=東区橦木町=によると、高速道路を地中に建設する当初計画が高架に変更されたことで、木が邪魔になった。そこで名城公園(北区)に移植する案が出たとい
う。
道路の高架化には日照や排ガス問題を懸念する住民の反対運動が起きた。鬼頭さんは運動の中心だった一人。「結局、高架化は受け入れざるを得なかったが、木を残す要望はかなった」。クスノキを避けるように、近辺の高架の位置は当初計画より二メートルほど東寄りになったと伝わる。
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危機のたびに住民の力で守られ、道の真ん中に居座るクスノキ。井上さんは「よくぞ残ったと思う。今でも、いいことがあるとクスノキのおかげと感じるのよ」と話す。
一部には「クスノキを切るとたたりがある」という“都市伝説”があるようだが、東区制百周年記念誌「ひがし百年」には、「たたりがあるので伐採を逃れたというのは迷信」と記されている。
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