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- ID:
- 23303
- 年:
- 2012
- 月日:
- 0127
- 見出し:
- 桝形堤防、強固な3段構造 治水・利水“交差点”保存公開へ
- 新聞名:
- 産経新聞
- 元URL:
- http://sankei.jp.msn.com/region/news/120127/ymn12012702050001-n1.htm
- 写真・動画など:
- なし
- 記事内容
- 南アルプス市北部を流れ、暴れ川と呼ばれた御勅使(みだい)川の洪水を防ぐ「治水」と、下流域の水田に水を送る取水口を守る「利水」の役割を果たした「桝形(ますがた)堤防」(同市有野)が、堤防の“命”といえる基礎の根固めに急流河川に多く用いられる3段構造の「木工沈床」と呼ばれる方法を採用
していたことが分かった。遺構を調査中の市教育委員会は「下流の堤防より強固な基礎構造で、治水全体の要衝でもあった」と分析。水害と復興を伝える貴重な文化遺産として保存、公開する考えだ。
◇
桝形堤防は東西約55メートル、南北約55メートルにV字型に広がる石積みの堤防。木工沈床は井桁に組んだ丸太に石をつめる技術で、基礎全体を守るように3列に3段構造で堤防周囲に巡らされていた。堤防は最上部の井桁から約3メートルの高さがある。
現在の遺構は明治40(1907)年の大水害の後に造られたとみられ、基礎は下流の六科(むじな)地区にある国史跡の石積み堤防で将棋の駒に見立てた「六科将棋頭(がしら)」以上に大規模で強固だと分かった。
堤防周辺はかつて「井戸を掘っても水が出ない」ともいわれた砂礫(されき)の土地で、江戸期の17世紀末に北側の釜無川から十数キロに及ぶ用水路を通す際、幅数百メートルの御勅使川の横断に、地中をトンネルで貫く「暗渠(あんきょ)」の方法を採用。昨年11月から始まった今回の調査で、大正期に
セメントと石で造られたアーチ型の暗渠天井部も確認された。
戦国武将の武田信玄も釜無川、御勅使川の治水事業に力を尽くしたと伝わり、水害への備えは古くから地域の課題でもあった。市教委文化財課の斎藤秀樹主査は「堤防は六科将棋頭と深く関連する治水と利水の“交差点”。防災の知恵、水害の記憶を忘れないモニュメントとしての活用を検討したい」と
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