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ランチルームと調理室
- ID:
- 50190
- 年度
- 2011
- 月日:
- 0406
- 見出し:
- 山下公園に希望の桜咲く 故郷宮城・栗原へ 復興の願い
- 新聞・サイト名:
- 東京新聞
- 元URL:
- http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/20110406/CK2011040602000031.html
- 写真・動画など:
- 【写真】
- 記事内容
- 今年も咲いた-。山下公園(横浜市中区)のシダレザクラの下で、横浜東ライオンズクラブの大石久会長(80)は、約四百キロ離れた桜の故郷に思いをはせた。その故郷、宮城県栗原市は東日本大震災で被災。大石さんは「被災した人々のためにも、栗原の桜を守り続けたい」と誓った。 (中沢誠)
ピンク色に染まった花々がこぼれ落ちるように咲くシダレザクラ。背景には氷川丸。ベストショットを収めようと、カップルや親子連れでにぎわう春の山下公園だが十八年前まで桜の木は一本もなかった。
「多くの人が訪れる観光名所に桜がないのは寂しい」と、大石さんらは名木を求めて、東北地方の桜の名所を訪ね歩いた。たどり着いたのが栗原市(旧志波姫町)。高さ約七メートル、幹の太さ約六十センチの立派な桜だった。
かつて、横浜市も一九二三年に襲われた関東大震災で、二万人以上が犠牲になった。山下公園は、復興事業として、震災のがれきなどを埋め立てて造られたという歴史を持つ。
山下公園への植樹に、市や造園業者からは当時、「土が悪いから根付かないのでは」と心配する声もあった。実際に植樹後は木が弱り、花もまばら。それでも木を別の場所に植え替えたり、薬を打ったりしていくうちに徐々に花を付け始めた。
「今年もそろそろ」と開花を待ち望んでいた矢先の大震災。大石さんには、豊かな自然に抱かれた栗原の里山が気掛かりだった。
先日、栗原の桜が被災を免れたというニュースを見た。「桜は強い。きっと被災地にも春を運んでくれるはず」。かつての復興象徴の地に、しっかり根を下ろす満開のシダレザクラを見上げた。
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