今回のキリマンジャロ登山で人生観が変わりました。何でもできるような気がする。あんなに大変だったことはないですもの。あんな肉体の限界というか、山を下りてきて見上げたらすごいじゃないですか。あれに登ったなんて信じられない。
キリマンジャロを背に。得るところの非常に多い登山だった
一歩一歩歩くと4日間であそこまで到達できるというのを身をもって体験すると、何でもやればできると感じます。あそこまでいったんだから、自分の仕事なんか「まあ、大丈夫」と思いますね。
豪太さんのきめ細かな判断などは私の仕事にも十分応用可能だと思った。単に通りいっぺんでやるのではない。大歳さんもセオリー通りなら下山が当然な状態にあったわけだが、豪太さんは自分の後ろを歩かせていつも歩幅とか目の色とかを見ながら判断していた。やらせてみて、かつ、きめ細かくフォローを
しつつ、いざとなれば手を差し出す。そういうところが素晴らしいと思う。
行くまで夫以外にだれにも言わなかった。キリマンジャロに登ったことを知って、みんなびっくりして。文字通り、素人の人間が高尾山から富士山、キリマンジャロと三段跳びをやってのけた。みんなに写真を見せたら「山女だったんですか」と言われた。
今回は頂上を極めなくてよかった、という思いがある。
・もし今回登頂成功していたら、傲慢(ごうまん)になって、きっともう登山・冒険をやめてしまっただろう。
・登頂に成功した方々の精神力、執着心を間近に見て、心打たれるものがあった。
・ただ、いきなりキリマンジャロという最高レベルの目標をセットして、そこに向かってチャレンジしたことは非常に意味があった。目標を高くセットする。失敗から学ぶ、という意味で……。
私自身は今まで文系人間で、体力とか気合とか大嫌いだったが、それは外に出さずに内面で持っていればいいのだ、と思った。得るところの非常に多い今回の旅、仲間だった。
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